Introduction


私の旅のスタイルは、サブタイトルにもあるとおり世界の人たちと世間話をすることです。
ガイドブックや他の旅行記に載っていない、自分だけのオリジナルな旅の思い出が残せるからです。

最初からこのような旅のスタイルを目指していたのではありません。
初めての海外旅行では、What is that? この言葉を発するだけでもドキドキしてストレスが
溜まったことを今でもはっきりと覚えています。

英語に対するコンプレックスから最初の頃は日本人旅行者を宿で見つけては積極的に話しかけ、
日本にいる時同様の安心感を求めていました。
残念ながら私は同胞にはどうも冷遇される傾向にあり、旅先の孤独感から開放されたい思いから、
勇気を出して外人バックパッカーに話しかけました。すると彼らは私のたどたどしい英語力には関係なく、
じっくりと話を聞いてくれ大変親切にしてくれました。

その時に役立ったのが、イラスト入りの英語で日本を紹介した本と折り紙でした。
前者を見せながら話すと答えの範囲がある程度想定可能で、場数を踏むと回答の仕方も
分かってくるので便利ですよ。後者は言葉は分からなくても、評判がよく相手がとても喜んで
くれるのが伝わりました。

彼らと話していると日本人旅行者からは聞くことのない色々な知識も身に付き、気が付くと引っ込み思案な
私がすごく積極的に変わったと同時に、英語も慣れると下手なりに口をついて出るものだと実感しました。

実際日本人よりもずっと英語の知識がなく、文法的にめちゃくちゃでも会話をしている人たちが
多いことに気付き、堂々と話せば通じるんだと思うと徐々にコンプレックスが薄れて来ました。

それでも会話の対象はあくまで旅行者でした。
そんな私が初めてヨーロッパ以外の国を訪れたのは、ペルーで、首都リマの治安は想像以上に
悪そうでした。街のヘソサンマルティン広場に降り立ったときは、ショックと恐怖心から、
それまでわずらわっていた熱と風邪がぶっ飛んでしまったほどです。

ただでさえ軟弱に見える私の容姿。場違いなところに居るのは、一目瞭然です。
スペイン語を全く解さない私は、犯罪者のカモにされるのが時間の問題でした。
そこで私は広場にたむろしている人々に目を向け、目を観察し、誠実で人の優しそうな人を選び、
ボディガードも兼ねて街を案内してもらい、更には家族も紹介してもらうほどでした。
最終的には一日2ドルで彼の家に滞在することになりました。
旅行情報はバックパッカーの方が、詳しいですが、生の現地情報は現在といった「点」の
ものだけとなるのに対して、地元の人は過去・現在・未来の展望と「線」としてのもので、
非常に興味深いものでした。

以前からあった何でも自らの目で確かめようといった方針に加えて、色々な人に話しかけて、
私独自の旅のスタイルを確立しようと思ったのです。

勿論、いつも順調であったわけはありません。
男性にいかなりキスされたり、性交渉を要求されたことも度々で、一度貴重品を盗まれたりと
授業料もそれなりに払っています。それでも場数を踏むと段々と要領も分かってきました。

以前、私をよく知り一緒にイスラエルに行った事もある人に、ブルキナファソの旅行記を送ったとき、
返ってきた返事は、「これって、フィクション?」でした。正直すごく悲しかった。
ありのまま見聞したことを自らの文書にて記述したにもかかわらず。
別の人にも同じようなことを言われたこともあります。そういったこともあって何年間も私の旅行記は、
パソコンの中に眠っていました。まだ、メモ帳の段階で残っているものもあります。

確かに私の旅行記には、色々な出会いがあり、さまざさな出来事が発生しています。
それは、私が人々との出会いを求めて、訪れる場所ごとに積極的に安全そうな人を探し
通りをを歩いていること、話しかけられた際には問題なさそうな人であれば、足を止めて
きちんと受け答えした結果、発生するものであり偶然の連続ではないのです。

日本人同士集まり行動する旅も一つのスタイルと思いますが、地元の人たちと食事をしたり飲みに行ったり
するのも最初は大変かもしれませんが、慣れてくると新たな世界を発見出来楽しいですよ。

最近は諸事情により旅に出ていません。今後は野宿などサバイバルな旅は出来ないと思いますが、
また新たな出会いを求めて旅に出たいと考えています。



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