Macedonia /Albania 

 
 マケドニアの首都スコピエは1963年の大地震により街が大破し、見所が何もないと聞いていたが、
実際はそうではなかった。

 泊まったユースホステルからしばらく歩いていると、旧共産圏の特徴である灰色の建物、
排気ガスなどで嫌になったが、マケドニア広場まで行くと大きなショッピングセンターがあり、中は明るく
少し安心できた。

 トルコ橋を渡るとイタリアやスイスといった感じの建物が目に入り、そのまま旧市街に入ってゆくと、
イタリアっぽいが、トルココーヒー、シシカバブ、モスクもあり、トルコを思い出させる光景が広がっていた。
更に奥へと進むと、グランバザール(市場)があり、そこにはありとあらゆる物が売られていて、
ぶらついているだけで珍しいものが発見できてとても嬉しかった。まさかヨーロッパで中東の雰囲気を
味わえるとは考えていなかったのが、より楽しみを増してくれた。

しばらく一緒に行動することになったフィンランド人と街で一番お洒落であろうイタリアンに入り、
私はパスタを注文したが、約2.5ドルと安く、味、量共に十分に満足いくものであった。ウエイトレスの
お姉ちゃんも超ミニで、我々二人はすごくご機嫌であった。

マケドニア広場から南へ5分ほど進むと、旧駅が自身で半壊し時計が地震の起きた時間、5:17で
泊まっていた。現在は列車をカフェとして利用したり、駅構内はちょっとしたショッピングセンターに
なったりとなかなか良かった。

ある意味この街は今が旬ではないかと思った。

                          ☆

アルバニアと共有するオフリド湖までは峠越えがあったりで、3月でも雪化粧した風景はそれなりだったが、
スコピエよりわずか、170kmでバスで4時間もかかってようやくたどり着いた。

宿泊先の、旧市街近くのプライベートハウスから石畳のショッピングストリートを5分ばかりも歩くとそこは
もう湖畔だった。いかにも夏の街といった感じだ。水は澄んでいた。

向かって右手の丘を登ってゆくと、静かな住宅街となり、その行き止まりに湖に面したカヨネ聖堂がある。
緑の芝生に覆われ、湖の下家の上に建つこの教会は依然訪れたウエールズを思い出させてくれた。
風も心地よかった。

丘を更に上がり、サミュエル要塞に行ったがあるのは、城壁だけで冷涼としていて、さらにオフシーズンで
あることも手伝って寂しかったが、逆にカヨネ聖堂では誰にも邪魔されず、のんびりと景色を眺め、
久々に自然の声を静かに感じ取ることが出来、私としては満足だった。 

                          ☆
国境からアルバニア最初の街、Pogrodecまでは、歩くとかなりの距離があった。
途中車が何度か止まり乗っていきなと声はかけてくれるが、どうもこれまでにない親切感に不信感を
抱き無視していた。ところが、いくら歩いても全く到着できそうな気配はなく、たまたま止まってくれた人が、
安心できそうだったこともあり乗車。歩くと本当あとどれくらい時間がかかったことかを考えると正解だった。

村にはノバの姿をよく見かけるほどのんびりとしていた。
人々も信じられないほど親切で、警察に首都ティラナ行きのバンの乗り場を聞くと、わざわざ捕まえてくれた。

道路事情はヨーロッパで最も田舎なお国のせいか、全体に赤土の道が目立ち、工事中の所も多かった。
そんなわけでティラナには予想以上に時間がかかって到着。

首都だけあって街は大きく、人口は44万人ほど。
ただ街にはごみが多く、途上国の匂いがした。
主な見所は街のヘソである、Skenderberg広場を居て印に歩いていけるので、観光にはありがたい。
路上には闇両替屋の姿が多かったが、治安には別に問題がなさそう。



85年まで独裁を続けた旧Enver Hoxha(エンヴェル・ホッジャ、アルバニア版スターリン)
の博物館には興味があったが、残念ながら現在では閉鎖されてしまっている。
街の背骨Deshmoret e Kombitを南下し入ると、Hoxhaや党幹部が住んでいたというIsmail通りがあり、
91年まで一般の通行が禁止されていたという厳重なところだったらしいが、歩道のメンテが悪いのか、
荒れ放題だった。確かに大きな一軒家があったりしたが、特に言われない限り要人が住んでいた地区だとは
思えなかった。

それにしても街は埃っぽい。
交通量がそんなに多くないせいか、中央広場を横断するにも信号がない。
翌朝、市場を探索してみたが、羽の付いた鶏をぶら下げて歩いている人の姿が目に付き、時代を何十年と
タイムスリップしたように感じた。またイスラム教が幅を利かしていることもあり、雰囲気も独特なものがあった。
結構おすすめの国かも。



                               ☆

今日はDurresという、イタリア行きのフェリーが出る港町に向かった。
行動を共にしていたフィンランド人と鉄道駅に向かったが、到底ヨーロッパ、いや中程度の途上国でも
もっと立派と思えるような、古ぼけ荒廃した駅で、線路では子供達がサッカーをして遊んでいた。

購入した切符は昔ながらの厚紙だった。
列車はイタリアのお古で、窓ガラスが結構割れていたりで、中南米やアフリカのローカル列車と同等だった。
一応はは幹線路線なのに。

そんな列車や線路だから、わずか40kmの距離を一時間かけて走ったが、時間の有り余っている私としては、
ゆっくりと風景を楽しめた。



列車を降りて、Durresの表通りを歩くと、イタリアへの玄関口らしく、南イタリアの雰囲気だが、
一歩通りを裏へ入ると、そこは中南米といった感じだった。
そして、ここでもアルバニアのどこでも見かける防空壕が目に付いた。

アルバニアはイタリアの影響を受けているだけあって、パスタやエスプレッソコーヒーは美味しかった。
明日の朝には、私はイタリアで本場のピザやパスタを満喫しているだろう楽しい光景を想像しながら、
フィンランド人と別れて、イタリア行きの船に乗り込んだ。

実際イタリアのバリに到着後に食べたPizza e birra(シンプルな焼きたてのマルガリータピザと
生ビールのセット)は、これまで食べた中で最も美味しかった。

まだ、マルタやボスニアに寄り道をするが、ウラジオストクからの大陸横断の旅の終点としては、
このマイナーな国、アルバニアが相応しいので、私の旅はひとまずここで終えることにしよう。




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