Jordan 1

旅は予定の10%が予定どうりにこなせれば良いと思ってるが、今回も正にそうなってしまった
数年ぶりの中東、さらに今回はハネムーン。出発前にはいろいろと計画を立てたのだが…

以前ヨルダンに対して抱いていたイメージといえば、映画‘インディ.ジョーンズ’の舞台に
なったペトラの遺跡よりも、1967年のイスラエルとの6日間戦争の方が強かった。
実際に訪れてみると死海への道を除くと、ゆったりとした観光地だと感じた。

6月25日

人気にあるヨルダンなので旅行者も多いだろうと思っていたのも意外で、ロイヤルヨルダン航空の
機内はがらがらだった。私がよほど飢えているように見えたのか、反対側の通路を担当していた
パーサーが機内食のお替わりを、「もう一食持ってきてくれた。」
せっかくだから食いだめしておくかとぺろりと食べてしまった私はいやしいのだろうか

モダンできれいなQueen Ali空港は、税関を出たところでもタクシーや宿の客引きがなく、
アラブのざわざわした印象はそこにはなく寂しかった。30分をおきに
Abdaliバスターミナルまで
出ている
Airportバスもエアコンが効いていて立派だった。そんな動くサロンから窓の外に目をやると、
背の低い草しか生えていない乾燥地の厳しい自然がそこにあった。「よしよしだんだんアラビヤの
ローレンスのイメージに近づいてきたぞ。」と、妙な満足感を感じた。
もっとゆっくりと車窓を眺めていたかったが、黄昏どきのわずかな明かりもなくなり、
時々見えるアラブ文字のネオンに目をやっていた。左手に斬新的で新しいモスクが見えたと
思ったらターミナルに到着した。そこから徒歩20分で安宿の集まったダウンタウンだが、
夜だった事、妻と一緒であたこともありバスターミナル周辺で宿を捜す事にする。ターミナルのある

Yabel
地区は1st Circleというロータリーから西に2nd,3rdCircleと帯のように延びた道路にはこれでもかと
いうくらい各国の大使館が集中していてる。一軒家の多い静かな住宅地で治安も良いが、
一泊一人10ドルくらいからの宿になってしまうが夜間に着いた人には休息の場としてはおすすめである。

バスターミナルの周りには食堂が数件あり、賑やかで、羊の肉を焼くうまそうな匂いがする。
機内食が未だ腹に残っていたので、その夜は匂いのみを頂戴して宿に帰る。アンマンの夜は蒸し暑い。
疲れているにもかかわらず眠いが浅い。それに反比例して考え事をしてしまう。予定になかったレバノンに
無性に行きたくなってしまった。そうこうしているうちにイスラム教の祈りであるアザーンが聞こえてきた。

ああ、とうとうやって来たんだと。私はそれを聞かないとイスラムの国に来た実感が湧かない。
心でイスラムを感じるとようやく深い眠りについた。まるで五回あるアザーンのうちの一日の始めのを
聞くために良く眠れなかったようだ。



6月26日

空路だと空港でビザが発給してもらえるが陸路では国境で取れないので、観光よりも
まず先にレバノン大使館に行くとする。(97年7月現在では陸路でもヴィザが取れるようになった模様。)
ホテルのおやじに大使館の場所を確認すると、「レバノン大使館?確か昨日のニュースで移転した
とか行ってたな。」と言うではないか。電話で確認してもらうと、街の外れの7
th Circleのあたりに
移っているとの事。ああ聞いてよかった。外れだけありタクシーでもかなり時間がかかった。

アンマンの街は11もの丘から成っている。そのため途中の道もアップダウンが激しいが、眺めは良く
ドライブには最適だ。丘一つずつが要塞になっているようである。
1st Circleから離れるほど建物の
数も少なくなるが、それに反比例して各国の旗がなびく大使館の姿がやたらと目に付く。
思わず子供の時の地理の時間ごとくこの旗はどこの国といった風に遊んでしまった。

ビザの受け取りは午後だったが、ダウンタウンまでの往復時間を考えると戻る意味がないので、
大使館内で知り会った、平野君と増田さんという日本人男女らと時間をその辺のカフェで過ごす事にした。
二人とも半年間の予定で旅をしているとの事であった。平野君は一月前にレバノンをすでに訪れており、
いろいろと説明してくれたおかげで情報のなかった私には有り難かった。ヴィザ代も
2DJ値上がりした
そうで
14DJだった。彼の話を聞いているうちにヨルダンをまずは南下するのをやめ取り合えず翌日
シリアに行く事にした。そう言うと彼らもダマスカスに行くとの事だったので、旅は道ずれで2―3日を
共に過ごす事になった。

Abdaliバスターミナルで、明日の出発時間を決め彼らと別れた我々は旧市街まで歩いて20分くらいと
の事なので散歩がてら歩いて行った。
King Husein通りという立派な名前のなだらか通りをゆっくり
下っていくと、大蔵省や役所があるのだが、同じ通りにズラーと並んでいた冷水機の展示、
そして医学生が使うであろう人体解剖模型屋の迫力でそうは感じなかった。

それからしばらく進み、航空会社や旅行代理店の束を通り過ぎると人通りの多い旧市街だった。おなかが
減っていたせいか、袋小路から流れてくる食べ物の匂いに敏感になっていた。
ローストチキンをグリルしているところ、ドーナカバーブをグリルしているところ、そしてシシカバーブを
焼いている店があった。

これら3種はどこに行っても必ずどれか見つかるほどの国民的料理である。ドーナカバーブは鉄の棒に肉を
巻き付けたもので1メートル近い長さの肉の塊で、グリルで回転している肉をまんべんなく薄く切る。
発酵させていないために薄いアラブにパンの上にヨーグルトソース、ぴりっと辛いソースを塗り、
トマトやきゅうりを小さくきった野菜をのせ、そして肉ものせてクレープのように来るっと棒状に
巻いて出来上がり。値段も50円もしないほど安くサンドイッチの感覚で軽く歩きながらつまめるから
スナックにはぴったりだ。以前パキスタンでシシカバーブを食べてから病み付きになっており、
ここでも旅の最初の食事にふさわしくそれを注文した。羊の肉を包丁で見る見るうちに細かく砕いていく。
それに塩と香辛料をふりかけ、肉と野菜を交互に串刺しに似て焼いたものである。
これが何ともうまいのであるが、私の食べたのは味もボリュームも物足りなく、その夜も同じ物を
食べるハメになったのである。

食後の散歩にと城塞(シッタッデル)がある丘に登ることにした。
乾燥しているせいか喉が渇く。ビールをクィーとその辺のバーで飲みたくなるが、イスラムの国で
アルコールをを手に入れるのは国によって異なるが一苦労を要する。外国人を対象にした一流ホテルの
バーで飲む事が出来るがそれはあくまでも予算に余裕のある人のためである。

通常は酒屋で購入するか、非常に数少ない郊外の洒落たカフェで飲むしかない。
それは外国人が多く住んでいるためであろう。隣のシリアと比べると比較的アルコールが許されて
いるようだ。城塞への途中の坂道で酒屋を発見。見逃すと次はどこでか分からないので、
駆け込むようにして良く冷えたものを一本購入した。ビールは
Amstelというオランダのビールと共に
何とヨルダン産のものが大半を占めている。そんな中でヨルダンのビールはコクがありなかなかいける。
普段はそんなに飲まない妻もこの時ばかりはグイーと飲み干していた。ビールエネルギーですっかり
元気になった我々は、あっという間に丘の上の城塞に到着した。

城塞といってもローマやビザンチン時代の柱などが所々に残っているだけの遺跡ある。
博物館が横にあったが時間的に遅かったのでその高台から雲の上から下界を見晴らすように丘のしたに
そびえるアンマンの街を眺める。よくこんな所に家を建てるなと感心するほど反対側の丘の斜面を見て
そう思った。いえは砂漠の砂と同じ土色だが夕日に映えると美しい。底辺をミニチュアのように小さな
人々の動きを眺めているとオデオンと二世紀に造られ6000人を収容していたローマ劇場があった。

予定では次にローマ劇場を見に行くつもりであったが、遠くから眺めるから美しいのであって、
近くからだとがっかりしそうだったのでそこからしばらく声をかけられないあこがれの人をボーと遠く
から眺めるように見ていた。そうこうしているうちに日も落ちかけていたので下界に降りる。
疲れていたので宿までの帰りはタクシーを使うがメーターが付いているのでぼられる事はない。

静かでバスターミナルがすぐ横にあるといった便利なところであるが食堂の数がそんなに多くないのが
寂しい。とりあえず旧市街の方へ坂を下っていくとすごくいい匂いがしてきたのでそこに入ってみた。
結果は大正解。テレカバーブとと言った感じで電話でもひっきりなしに注文を受けていた。
食べる前にこれは絶対においしいと確信したのはその作り方である。大きな石造りのオーブンに先ほど
述べたように肉と野菜を鉄串に差して調理しているのだが肉はほぼ作る直前に細かく砕き、炭火を使って焼く。
焼き鳥のように風を煽るが小型扇風機を使って焼き具合によって場所を移動させながら焼くといった
具合のまめさだった。見ているだけでもわくわくした。お味の方はもちろん、グー。ボリュームも多く
二人で一人分でも十分だった。いくら美味しいものでも度を越えるとまずく感じるのは常識である。
私があまり食え食えと薦めすぎたせいか、妻はその夜以後カバーブを見るのもいやになってしまったのである。

その夜私は食べ過ぎで良く眠れなっかた。




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