Syria1

6月27日

8時過ぎにに昨日出会った平野君らとと合流して、ダマスカス行きのセルビタクシーに
乗り込む。パスポートの内容記入のため数分待たされた後に出発。セルビタクシー
(通称セルビ)は南米で言うコレクティーボ、60―70年代のレトロな大のアメ車に、
前に2人、後部座席に3―4人を乗せて市内の短距離から何百
Kmといった距離を走る
乗合タクシーのことである。乗客は全員で5名。我々4人の他にヨルダン人が1人。

最初はちんたらと
100Km/h弱で走るのでもっと早く走れんのかと言うと警察のスピード
チェックがよくあるとのことであった。正直言ってスピード狂のアラブ諸国でもそんな
ことがあるのかと少し驚いた。だが人影もなくなり乾いた岩だけの単調な風景とカーブが、
続く頃になると車も待ってましたとばかりにスピードを増す。気分が悪いと酔いそうな
くらいカーブが多い。1時間半くらい走ったところでヨルダン最後の街に着いた。
そこで食料品店でドルをシリア
.ポンドに両替する。3人入た従業員のうちの長老は
いかにも胡散臭い顔をしていた。やはり100ドル札を見せる段階になるとひっきりなしに
触ったり、眺めはじめたかと思うと病院でレントゲン写真を見るような感じで札を置き電気を
点けて観察していた。よほど偽札をつかまされた苦い経験があるのだろうか。
「うーんどうもこの折り目が納得がいかんのう。」と案の定別の札を要求される。
お前の方が胡散臭いのじゃないかと思いながら別のを出すと今度は納得して、
ようやく両替が終わった。この間約五分。こんなに長時間札お眺めた人は初めてだ。

セルビは少し走ったかと思うとすぐ国境に到着した。バスで超えると出入国で4時間ほど
かかるとの事であったからセルビにしたが、その期待を裏切られてしまった。
金曜日の午前中ということもあり超混雑していた。というよりもシステムがぐちゃぐちゃだった。

まず出国カードをパスーポートと一緒に出し別の窓口で名前を呼ばれるのを待って受け取る
システムであるが、処理も出した順ではなく適当にやっているようだ。最初セルビの運ちゃんらも、
ヨルダン人用の窓口でずーと待っていたので混んでいるから仕方ないかと待っていたが、
まったくそんな気配はない。そうこうしているうちに妻が順番通り行っていない事に気づいたらしく、
窓口の前で待った。我々のパスーポートを発見すると、係員に「次はこれだ。これだ。」
と強く言わないと後回しになるようだった。2時間かかってようやくシリアに入国。
こちらの方はものの15分であっさりと終わった。

シリアに入り街並みを見ているとヨルダンは豊かだと思えた。
それよりもずっと印象的だったのは、至る所にアサド現大統領の肖像画や写真を見かけた事だ。
1971年に権力を握って以来今日までその地位を維持している。1992年の選挙では
99
.9%支持を得て当選しているからこれまたすごい。シリア人によると彼をアサドと呼び捨て
にしては失礼でいけないそうだ。まあこれは本当にアサド崇拝者もいれば、そうしている振りを
していないと秘密警察が恐ろしいとかであろう。あるダマスカス駐在員が友人の家に電話をしたとき、
いつもなら政治の話は避けていたのだがその日はなぜかシリアの政治の話を始めたという。
正に話が盛り上がりつつあったとき、突如電話が切れてしまったとの事である。

外国人の家や会社には盗聴機が仕掛けてあると言うがそのような話を聞くと納得してしまう。
大統領の肖像と並んで長男の写真もよく見かける。彼はアサド王朝の後継者とされていたが、
1994年の自動車事故で他界してしまう。現在は医者である次男に目が向けられているが、
当の本人は政治家になる気はないとの事である。

(結局、2000年に大統領を継いだ。)

結局ダマスカスまでは5時間少しかかってしまい、昼の1時半という一番暑いときに到着した。
街はとても暑かった。それは気候よりも街自体が暑苦しいといった方が正しいだろう。
道路が広く交通量もかなり多く、排ガスが気温を上げている。街にも活気が感じ取れる。
カラチやカイロがそうであったようにクラクションが絶え間なくなっているのでうるさい。

通りを横断するにしても信号がほとんどなく、毎回渡のが命懸けだ。逆に言うと今まで以上に
車に対して注意を払うから安全かもしれないが、やはり信号によって忙しい時間の流れを
ちょくちょく止めてくれた方がほっとする。旧市街の城壁まですぐのところにある日本人の
間では有名なバックパック宿
Al-Haramein hotelまでは歩いて15分ぐらいだった。

喉も渇いていたので途中の食堂で昼をすます。ぶっ掛けご飯の店で、トマトスープをベースに
ジャガイモ入りのやまめ入りのとかが、4種類並んでいて、私はジャガイモのぶっ掛けご飯を食べた。
よく煮込めてあって美味しかったが、それよりも塩とサフラン風味のインド風ライスが格別であった。
人が10人も座れば満席といった小さい家庭料理の店だ。ここには翌日も足を運ぶ事になった。
正に家庭料理万歳である。

さすがドミトリー一人3ドルの人気の宿だけあって、2時半ですでにかなり混雑していた。
今日だけという条件で妻に了解をもらい平野君と私は男部屋、増田さんと彼女は女部屋に別れる。
暑いにも関わらずテラスで日光浴をしている妻が信じられない。旅行を始めてからどうもよく
眠れないため昼寝をしようとするが、持ってきた本に熱中してしまい、4人で外出する時間に
なってしまう。みんな移動で疲れているせいかどうも足取りが重い。

金曜日で休日であったが、市場の中の店は結構開いていたので散歩がてらに冷やかして歩くが、
休息日らしく活気はあまりない。
そんな私を喜ばしてくれたのが「オクラ」であった。「おー、こんな所にオクラがある。感激だ。」
とつぶやいてしまった。店の人も「オクラ、オクラ」といっているではないか。どうやら、
私の言葉を繰り返しているわけではない。冷静に考えてみるとモロヘイヤと同じくオクラも
中東が原産であった。オクラという単語はアラブ語なのである。

夕食は市場の近くの店でローストチキンをtake outして宿で食べる。ハーフで60シリアポンド。
アラブのパンを皿にして食べる。皮から出る汁はジューシーで鳥肉は中まで味がしみ込んでいる。
これほどうまいローストチキンを食べるのは久々だ。我々が何気無しに食べていたチキンも先任者
の苦労があったからである。平野君が二ヶ月前にダマスカスに居たときすでに長かった他の日本人が、
毎日いろんなものを食べ歩いた結果、一番安くて美味しい店を発見したというエピソードがあった。

その夜は妻とAl-Merjeh広場の周りを散歩して寝るが、またよく眠れない。またまた朝一の
アザーンを聞いてしまう。アンマンのはイ短調のようにとても寂しに音色で気持ちも重くなったが

(
ホントに音楽の事が分かるのか)、ここは聞いていても気持ちが良かった。
しかしアザーンのスピーカーに近いせいか、大音量でますます目が冴えてしまう。
それを流している方にしては人々が祈りのために目覚めてくれて都合が良いのであろう。




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