Iran 1

ケマル=アタチュルクの肖像画とさよならをし、建物の中に引かれている赤い線を超えるとイスラム革命の
指導者ホメイニ師の肖像画が睨み付けるように我々を迎えてくれた。さて、これからイランだと張り切って外に
出ようとしたが、窓口で列を作って待つわけでもなく建物の出口に係員がきたときにパスポートを早い者勝ちで渡し、
そのパスポートを返してもらったらやっと外に出れるのである。1時間近く待っただろうか、やっと外に出れたときは,
人質から開放してもらったような気分でイランの第一歩を踏み出した。


 イランは酒や西洋音楽のテープの持ち込みはだめ、女性は髪を隠さなければならないなど厳しい国だと
聞いていた。マサもそのために持っていたウィスキーをトルコですべて飲み干した。


 我々を待ち構えていたのは、黒いチャドルを被っていた女性二人であった。一応制服を着ているとは思うが,
チャドルによってすべてが隠れているから彼女らが税関と書かれたところにいなければ、ボーっとしているただの
女性と思いそのまま通り過ぎるところだった。実際私も彼女らに声をかけられるまで分からなかった。
持ち込み禁止品は持っていなかったけれど、じっくりと荷物を調べるのかなと思い鍵を開ける用意をしていたら、
「OK。」と一言だけであっさりと通してくれたので、非常に拍子抜けした。と同時に、それなら酒を持ち込むべき
だったとちょっぴり後悔した。

 ミニバスとバスを乗り継いでタブリーズを目指したが、イランに入ってからというもの土地が更に乾燥し、
土色の景色になり、暑さもかなり増してきて、砂漠の国イランという私の抱いていたイメージとぴったりになった。
それにしても暑い。休憩したときに冷たいものでも飲もうとしたがノンストップでイラン最初の目的地タブリーズに到着した。

 今回の旅の中で一番重点を置かなかったトゥルクメニスタンのヴィザがネックになるとは当初は想像もしなかった。
イランにゆっくりと居たかったが、トゥルクニスタンのヴィザだけ入国日と出国日が記載されていたし、その期間が,
6日間ということもあり我々は少々急ぎ足でイランを見る必要があった。そのため、この街はバザールのみを見学して
その夜行でテヘランに向かおうという案に替わった。

 そこまでして私がここに来たかったのは、マルコ=ポーロの「東方見分録」のなかに国単位での紹介が多い中、
このタブリーズは独立して紹介してあり、また彼も訪れたときの印象を記していたので興味があった。

 バザールの内部はいかにも歴史が有りそうで、ゴシック建築のような煉瓦で出来たアーチの天井がマルコポーロの
時代を連想させてくれた。規模も大きくありとあらゆる店が広がっていたが、私はその中でも貴金属店に興味があった
。といってもそのものに関心があるのではなく、マルコポーロの時代に栄えていたという点にあった。貴金属だから
ショーウィンドーに展示されているのは当たり前だったが、どこの店もウィンドーの縁は赤いネオンで輝いていてやたらと
派手なパワーで現在も他を引き離して目立っていた。




 列車の出発時間に間に合わなくなり、夜まで時間があったので再びバザールに戻っていた。
喉が死ぬほど渇いているにもかかわらず、バザールの中であれだけどこにでもありそうなチャイ屋すらなかった。
人通りの少ない寂れた中を歩いていたが、荷物を持っていたこともありその辺で腰を下ろし一休みした。
すると向いの絨毯屋からおやじが出て来て一杯のチャイをごちそうしてくれた。こんなに「ウメー!」という思いが
したのは久々だった。ちょうど喉が渇いていたとき、何気なくおやじがチャイを振る舞ってくれた。
まるで我々の喉の渇きを知っているかのように。マルコポーロもこんな風にもてなしを受けたのだろう。
そしてそのもてなしは昔も同じであろうと、私は目を閉じてゆっくり過去の光景を想像した。




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