Iran2

テヘラン行きの夜行バスは座席が2列、1列と列車の一等車のような配置でゆったりとしていたので、
疲れを感じなかったのでそのままイラン観光のハイライトの街、古都エスファファンまで直行することにした。

 シラーズ行きのバスのため、エスファファンのバスターミナルまで行かないとのことで、我々はどこか
分からないロータリーのところで降ろされた。市内行きのバスの出るロータリーまでは何とか行ったが、
そこから先が良く分からない。そこはイラン、人に尋ねると徹底して教えてくれる。我々が安宿のある街の
目抜き通り、チャハール.バーゲ.パーイーン通りにすんなりと行けたのも乗るバスを教えてくれたオヤジの子供が、
わざわざ降りるところもでバスに同乗してくれたのである。

 バスの扉が開くや否やあっというまに満席となり、私とその子供は並んで席を確保していたが、
マサはそのまま後ろに流されかわいそうと思っていたら実は逆だった。

 イランの市バスは男が前半分、女が後ろ半分の座席に座るという習慣がある。それもきれいなくらい
きっちりと別れている。そんな分けだから一緒に座りたい若い夫婦なんかはちょうど境目の真ん中あたりに
並んで席を取っていた。

 そう、マサが後ろに流されたのではなくわざと行ったのは女性と話すためである。そう言えばバスに乗る前に、
高校生ぐらいの女の子がマサに宿の場所を説明していた。普通であれば、何のことでもないのだがイランでは、
夫婦、家族以外の男女が隔離された状態にあるのでなかなか会話を楽しむこともできない。
増してや仲が深まり肉体関係にでもなれば、異教徒である我々は死刑判決を受けるのだ。
ドイツ人バックパッカーで一審で死刑、二審で無罪なったのが居ると聞いていたがイラン側は宗教上の手前
もありまだ解決していないようだ。まだその男の方は助かる見込みがあるにしても、相手の女性はすでに処刑
されたとのことだから、命懸けの愛である。




 夕食を取りに外に出かけた。カバーブとかを出す簡単なスタンドはあったが、なぜかあまりレストランを見かけなかった。
一件入ってメニューを見てみたがカバーブとフライドチキンなどとバラエティーに欠けてはいたが、思ったよりもマシでほっとした。

 トルコを去る前夜同じホテルに泊っていた、イランから来たバックパッカーの言葉を思い出した。
「トルコは物価が高いけれどメシの種類が豊富で、しかもパンが食べ放題でありがたい。特に、バラエティーの
ないイランの料理と比べると大違いだ。最後の方はハンバーガーのサンドウィッチばかりを食べていました。
なかには、食事に困り早々とトルコにぬけた人もいます。」

 その夜我々は、巨大ハンバーガーで夕食を済ませたのであった。

 食事がだめでも、「エスファファンのサフランアイスは旨いぞ!」と聞いていたし、情報ノートにもあったので
かなり期待していた。我々は、それを帰り道に見つけたが、私は冷凍ケースにあった春雨のような透明なものに
心を奪われそれを買った。凍った春雨のミジン切りの上にレモンシロップをかけてくれた。
凍った春雨の様なものが溶け、冷たくて気持ちの良い口の中で、ゼリーのようにプル〜ンとした柔らかい感覚が
楽しめはまってしまった。マサのサフランアイスもおいしかったが、甘すぎてあまり好きにはなれなかった。

 良いことは続くもので、ヴィザの延長を無事に済ませて宿に戻る途中一件のケーキ屋を発見した。
イランで甘いものといえば、蜂蜜のかかったパイ系統の伝統的なおやつが多い中、そこは一口サイズのケーキや
シュークリームがショーケースいっぱいに並べられていた。特に久々に見る、クリーム系の菓子のせいか、
どれもがおいしそうで誘惑される。気に入ったのを何個か買ったが、あまりにのおいしさに一瞬のうちに食べてしまった。
量り売りだったが、一個あたり2、3円と信じられないほどに安いのも嬉しかった。




                                
 物価の安いイランで特にそう感じるものといえば、移動費である。バスで丸一日の距離を乗っても1ドルで収まった。
石油代が日本の20分の1だからと言われればそうだが、闇レートの関係もありどの国よりも安かった。
リアル払いが可能な飛行機の国内線も例に漏れず安い。我々はテヘランまで乗ったが、バスで暑い砂漠地帯を

7
8時間をかけた道のり、約500キロ、つまり東京―京都くらいの距離を一時間乗って10ドルであった。

 もっと飛行機を利用したかったが、陸路で東に向かうと決めていたのでどうしても妥協できなかった
。ではどうしてこの間を飛行機で移動したかというと、テヘランとエスファファンは盲腸のようなところであったから
構わないと決めた。テヘランからカスピ海のまちを目指す予定だったが、上記のような理由でテヘランからはバスに
乗り換えた。そして、バス旅行は正解だった。


テヘランの街はでかすぎる。それに渋滞も重なって市内の移動でも1時間、ましてやバスターミナルに行くのに
1
時間半かかることは珍しくもない。エマームホメイニ広場から革命画を見ながら大学の少し先まで歩いたが、
地図がおかしいのではないかと思うほどに進まない。でも、親切を装ってチップをもらおうとする暗い感じのおばさんの
おかげでそんなに時間もかからずに着いたから良かった。




 馬鹿でかいテヘランの街をようやく出たバスは単調な荒れた景色の中をしばらく進み、ジグザグに道をどこまでの
私か分からないほどにひたすらと登りはじめた。途中トンネルの数も多くなったりで何かの峠を越える事は分かった。
荒々しい景色ではあるが、とても眺めが良く最高のドライブとも言えた。すると頂に雪をかぶった、トルコのアララット山
以来の高そうな山が姿をあらわした。イラン最高峰の、デマヴェンド山(
5605メートル)である。

 そのうちどんどんバスは低地に向かって下っていった。私がちょっとウトウトしていたら、マサが突然窓の外を
差して叫んだ。見ると、さっきまでの土色の景色が信じられない程緑に変わっていた。
しかもその田畑の光景はまるで日本を思い出させるほど似ていた。

 イランというと、砂漠と高原の乾いた国で土色、茶色の国というイメージで全く今目の前に広がっているような、
しかも日本にいるような色に出会えるとは夢にも思えなかった。そして、米を栽培していることも。私は、
また機会があればこのテヘランからカスピ海湖畔にある街、トゥルクメニ
=バンダレスタン間のバスに乗って
ドライブを楽しみたい。

 


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