Trukmenistan1

夜行バスと乗合タクシーを乗り継いで翌朝にはようやくトゥルクメニスタンとの国境に到着した。
イランの出国はトルコから来た時とは異なり、スンナリとすみ国境の門番の兵士も愛想がよく、
まじめに警備をしていたが、トゥルクメニンスタン側の門番は詰め所の前に座り読書をしていた。

 我々がイミグレの場所を聞くとここで待っていろ車が来るからと言って、持っていた無線で何らかの
連絡をしていた。国境なのににぎやかさがなく鳥の声が良く聞こえていた。見渡しても岩石砂漠の岩だけである。

 門番の彼も一緒にタクシーに乗って緩衝地帯を行くとそこにはイミグレが確かにあった。そして、車の中で
運チャンは我々にしきりにアシュガバッドまでタクシーで行けと宣伝を忘れなかった。

 そこもかなりひっそりとしていた。私らの前にマシュハドから来たモンゴル系の顔をした商人が
二人荷物を大量に並べて待っていた。あとバスの運転手らしいのがいたが、国境超えをしようというのは
他にはいなかった。

 ここも楽勝通過かと、扉を開けて中に入ろうとすると外で待てとのことだった。30分、1時間近く待っても
イミグレの人間らしき物はまるで営業前かのように働く気配がなかった。昼前にようやく扉が開いた。
ここでは荷物は徹底的に調べられ、外貨申告の紙にもち金のほかカメラの数やメーカーまでも記入された。
てっきり自己申告と思っていたが、あくびばかりをしていてやる気のなさそうな銀歯の目立つおばちゃんが、
黙々と書いてくれていた。確か、2枚いると聞いていたのに1枚しかくれなかった。あと一枚いると主張ると
ノープロブレムと、答えるのみだ。私は、ノープロブレムという言葉を好む人間ほどプロブレムをもたらして
くれることを経験から感じているので、さらに主張した。すると面倒臭そうにもう一枚を書き始めた。
結局何がノープロブレムだったんだ。本当にもう少しでプロブレムになるところだった。

                            
 結局さっきのタクシーに乗ることになった。税関のチェックが厳しく二人の商人を待っていたら何時間
かかるか分からなかった。さらにさっきのタクシーを除いて他の車もないといった、寂しい旧ソ連の第一歩であった。

 しばらく走ってもずっと軍の管轄内で車窓に広がるのは裸の岩山ばかりで単調すぎる。
そして、ようやく家が見え始めたかと思うともうアシュガバッドの街中に入っていた。

 アシュガバッドは砂漠の中のオアシスという言葉ぴったりと当てはまるように街路樹や公園が多かった。
街の雰囲気も砂漠にある街とは異なり、ピンクや青などのカラフルな石造りの西洋の建物でロシアの匂いがした。

 今街でまず目に付いたのが、大統領の肖像画、写真の多さである。キューバ、イラン、ジンバブエと
その国の指導者が全面的に前面に押し出している国を見て来たが、ここの大統領ほどで出はなかった。
彼の肖像画とともに「祖国、平和、大統領」(下の写真)とあるのは珍しくはないが、名前にトゥルクメンパシャ
(トゥルクメニ人の頭)とつけている程のは見たこともなかった。

私の泊ったオクトーバホテルの正面にも巨大な肖像画が飾ってあったのは言うまでもない。



 旧ソ連だけあって夜の通りは暗いが、肖像画や写真は立派にライトアップされているのが目に付いた。
店の看板にも彼の写真が入っているところがあったし、観光パンフレットはもちろん、バザールに売ってあった
お茶の缶にもさりげなく小さく写真が埋め込まれていた。といことはこの缶は、使用済みになっていらなくなったときは
どうするのであろうか。捨てるにも捨てれないのではないか。

 また、ニヤゾフ大統領の経歴も私をびっくりさせた。通常超独裁者というものは、イランのホメイニ師や、
キューバのカストロ、ジンバブエのムガベのように革命や独立の闘争を指導したなど、戦い抜いたというイメージがある。
それに対して彼は、旧ソ連時代に順調に出世をし共和国の第一書記となった。バルト三国のような独立闘争もなく、
ソ連が崩壊すると、地方政治家から自動的に大統領に就任したのである。

 さらに私をびっくりとさせてくれたのが、プレシデンシャルタワーのある広場の存在だった。バザールに行き、
いまだに残っているレーニン像のある公園の前を通って宿に戻るのが散歩のパターンになっていた。
その時、ちらっと見えていた塔が気になっていた。同じ宿にいた人に眺めが良いと教えてもらったこともありますます
気になってその塔に登ることにした。

 広場の周りは政府間系の建物が多かったが、市民の憩いの場にしようとしているせいかとてもリラックスした雰囲気だった。
塔は広場の真ん中に立ってあり、てっぺんにはブロンズの像が乗っかっていた。もちろん大統領である。

 地方から来たこの国の女の子はもう5回もこの塔に登ったという子もいた。それに登ることが、昔の東京タワーのように
一種のステータスになるのであろう。実際に登ってみてその気持ちが分かった。塔を左右から支えるような形の
エレベーターは、透明で電飾が付いていて、高級ホテルのようであった。一番上まで登り展望台から街を眺めると、
まるでそこまで計算されたかのように見事なものであった。それにしても緑が街のかなりの部分を占めている。
きれいな眺めだ。何度もその塔に登るのも分かる。

 広場の縦方向の一方は札幌の大通り公園のようにずっと奥まで緑地帯が続いていた。別の方角では、
未完成の状態で新しい国会議事堂が建設中であった。そして、広場のそばに一際金色に輝くモスクの屋根をした、
宮殿のような建物が目立っていた。言うまでもない、大統領官邸である。大統領様、恐れ入りましたである。

 エレベーターを途中まで降りると、バーとレストランがあった。見るからに高級そうでそこでの食事は我々バックパッカーに
とっても高すぎたが、結構繁盛している様子であった。バーはホテルのスカイラウンジといった感じで、カウンター席だけであった。
マサがここでコーヒーを飲みたいということで、腰を下ろした。しかしそのバーは場所代が9割といった感じだ。
私はジュースを注文したが、見ていると市販のジュースのパッケージををグラスに注いではい終わり。もちろん冷えていない。
それで値段も日本の感覚で言うと1000円ぐらいである。アイスクリームの盛り付けを見ていても御粗末であった。

 そのカウンターからもガラス越しに大統領官邸が眺められた。私はそれだけでも有り難く思えと、自分に言い聞かせ
ながらその生暖かいジュースを飲み干した。そして黄昏時の金のドームは超成金趣味ということを除いても眩しかった。 

 塔を降りたときはすでに日が暮れていた。その横にある噴水は、カラフルなイルミネーションで黄昏時はとても
ファンタジーな雰囲気を出していたが、夜は夜でエレベーターの電飾と合わせて暗闇に色を与えていた。

 ちょうどその噴水の前には写真屋がいて、地元の人々で繁盛していた。噴水、もしくはプレシデンシャルタワーを
背景に写真を撮るのが一般的で、我々もその例に漏れずちゃんと記念撮影をした。




 このトゥルクメニスタンのメッカのような広場は大統領の権力が維持されている間はますます立派になり、世界最大級の、
成金の標本のような広場になるだろう。この北朝鮮に次ぐ神格化された国家にある広場を、また何年か後に訪れたいものだ。


(その後、ウズベキスタンに抜け旅を終えました。本当は日本までの予定でしたが、、、
旅のメモが日本にあるので、入手次第続きをアップしますね。)


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