Benin 1

ロメを1時間ほど走るとアネホの街が見えてきた。
湖と海に面した街はガーナのアダを思い出させた。
リゾート地としてはこちらの方が上である。

湖に面したホテルの前を通過した時は迷ったが、車はどんどんと離れてゆき、
しばらく走ると国境に到着した。
本当にトーゴは縦長い国だ。

南北が600Km以上もあるにも対して、東西は最も広いところで100Kmちょい、
私が通りぬけた海岸線はにも満たない。

ここはアルフォアとロメ間のように、国境まで市街地が張り出しているというところ
ではなかったから静かであった。トーゴ側でいろいろと聞かれ、またイチャモンを
つけられるのかと思ったが、無事に出国出来た。

一緒にイミグレーションに向かったタクシーの同乗者の一人が、
私が遅かったので、賄賂でも要求されたのかと、ベニン側で心配してくれていた。
ベニン側のイミグレの係員の態度は良く職務に対して忠実な感じであった。
係員の腕時計は1時間進んでいた。トーゴとは1時間の時差があったのだ。
元々、今日の予定はアネホ泊だったし、ここまでもこんなに時間がかかるとは
思っていなかった。

コトヌーまであと100Kmはあり、明るいうちに着けるか微妙なところだった。
ベニンに入った途端車の交通量も増えていた。それと道路工事も目立った。
ノロノロ運転になったかと思うと車は突然停まった。

前にずらーっと車が停まり外に降りている人も多く、私たちも何だといった様子で降りると、
工事中のため反対斜線とこちら斜線の車を時間差を設けて通行させていた為、
こちら斜線の私達は待たされた。

突如、ためられたものがドーッと吹き出るように車は進んだが、
スピードが出てきた矢先にはポリスチェックで止められ、どんどん時間が過ぎてゆく。

日も暮れた頃、雰囲気で大コトヌーに入ったというときに全員の荷物チェックがあり、
そのうちの一人が警察に絡まれなかなか出発出来ない。
そんなわけでコトヌーのターミナルに着いたら辺りはすでに暗くなっていた。

乗客の中に、ピンクの生地にミッキーマウスの絵が描かれている、ド派手な上下の服を
着たオヤジがいた。そのオヤジはコトヌーで開かれる医療会議のために、
ブルキナファソからトロトロなどを二日ほどかけてここまでやって来たということだった。

宿の手配がされているかどうか不明で、とりあえず関係機関に電話をかけまくっていた。
その間にターミナル周辺で彼の分と宿探しをしていたが、時間が遅くどこも満室か、
質の割には高い売れ残りばかりでターミナルに戻ると、オヤジを迎えに来る人が見つかった
ということだった。

その使者はバイクで現れたが3人乗りは出来ないので、
まずは私を宿に案内してくれることになった。
出来るだけ安いところと言うと任せときなとバイクを走らせた。

ターミナルに平行した道路は、裸電球の露店があったりディスコ、ナイトクラブ
そして娼婦と行った光景が広がるいかにも場末の雰囲気であった。

へーっと思い始めた時、彼はその界隈の真っ只中でバイクを止めナイトクラブの横にある
ホテルを指差して、俺はここのオーナーを良く知っているそのまま中に消えていった。

しばらくすると大柄でがっしりとした目つきの鋭いいかにもといったオヤジが出て来た。
一緒に部屋を見に行くと、大きなダブルベッドにシャワーも付いていたが、
ベッドは見るからにぼろであった。

納得する料金まで下がり、1泊ということもありとりあえずそこで休むことにした。
私をそのホテルに連れていってくれた例の使者は、ミッシエルと名乗り何か困ったことがあったら、
ここに連絡してくれと私に一枚のメモをくれた。何と親切なんだ。

本来ブルキナから来たオヤジの世話役が、何も関係のない私までこんなに良くしてくれるとは。
よほど私のことが心配なのか、宿のオヤジにもよろしくと残して去っていった。

シャワーを浴びてから、散歩にビールでも飲みに行こうと思い宿のオヤジに
食堂の場所とかを聞くと、外出時には必ずパスポートを預け気をつけて歩けといわれ、
やはり治安の良くないところだと認識した。

シャワーの前にトイレに入ったが、数秒たりとも立っていられなかった。
ガーナのビーチで日焼けした下半身はヒリヒリとは痛かったものの、
さっきまでは日常生活には全く支障はなかった。

入ったトイレには便座もなかったので、とりあえず部屋に戻り水シャワーを浴びることにした。
すると結果は同じで二本足で立っていると、膝の筋がぴーんと張って来て、
数秒後には筋が切れそうで、耐えれなくなりガクンと倒れそうになってしまう。

ところが、歩いている時は問題が無いので、結局は常に足を動かして入れば、
大丈夫ということが分かった。だが足の動きを維持するにはシャワーを浴びるにせよ、
小を済ませるにしても足踏みをしながらでないと、行為に耐えれない悲惨な状態であった。
特に後者の方は便座がなかったり、あってもすごく汚れている場合は大変だった。
とにかく足踏みをしながら用を足すのは小便が飛び散りそうでこれまた大変である。

そのホテルのトイレも汚れが半端じゃなかったのでその夜は、子供の時に銭湯で小便を
した時の記憶が甦り、だれも見ていないのをいい事に、シャワーを浴びながら垂れ流すしかなかった。
人が見たらかなり異様な光景であったに違いないシャワーを終えると、ぐっと疲れが出て来て、
その夜の外出の気力がなくなった。

持っていた缶詰でさっと夕食を済ませ、ベッドに横たわったが、このスポンジマットも
超フニャフニャで、半分に折ってようやく最低限使えるといったシロモノだった。
さらにナイトクラブを両側に挟まれ双方から音楽が、一晩中流れて来るという大変ハードな
環境に置かれていたが、足がヒリヒリと痛み夢の中まで痛みを伴っていた私には、
その時ばかりは何でもなかった。

                      ☆

朝目覚めると昨日の出来事は悪夢での出来事で普通に立てると思い立ってみたが、
結局は同じ事であった。
かつてこんな経験はなく、昨夜もらったミッシエルに電話をしようかと考えたが
散歩することにした。

昨夜は痛みでなかなか寝付けなく、本のコトヌーのぺージをぱらぱらと見ていたら、
最も街で治安の悪い(ジョンケ)地区の中でも一番悪いといわれている場所の
真っ只中にいることが分かった。

道理でミッシエルも心配していたわけだ。
街の目抜き通りである(クロゼイ通り)を目指して歩いて行くと確かに雰囲気が
違っていたが、クロゼイ通り近辺の通行人よりもずっと親切だった。

しかし一度間違った道を教えられ現在地を確認しようと人に聞いても、
文字が読めない人も多く多少の苦労もあった。

高い建物こそ少ないが、ぽつんと時々小奇麗なヨーロッパ風の店があったりと
一応は都会らしくあった。 ガラス張りの洒落たスーパーマーケットもあったが、
名前を見ると思わず笑ってしまった。 それはフランスのチェーン店で
なおかつ大衆向けの安いスーパーとして有名であったからである。

そんなスーパーもここでは割と高級と扱われているところのギャップがおかしかった。
ビーチ、港、ナイトクラブ、ヨーロッパ的雰囲気も所々に感じられる街であったが、
どうも私はここが好きになれなかった。

それは街自体が排ガスに覆われているからであった。
この国には公共バスがなく、タクシーかバイクタクシーが市民の足を担っている。
至る所に50ccのカブのようなバイクが騒音と排ガスを撒き散らしながら走り、
信号が青に変わる瞬間なんかモーターレースのスタートといわんばかりに、
多くのバイクが一斉にすざましく スタートする光景を何度もみた。

それはタイのバンコクで見た光景にも似ていた。
コトヌーがバンコクなら、その郊外にある水上マーケットで有名な観光地ガンビエも持っていた。
ガンビエの方は十数キロと近いのだが湖をカヌーで行くため結構時間がかかる。
そこの水上マーケットはかなり期待していたが、ガーナでいやというほど
カヌーに乗って島巡りをしたし、それに乗って魚を売っていた子供たちの姿も見た事だし、
ナイジェリアとの国境に近いベニンの首都ポルトノーボに向かった。

            

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