Benin 2



乗合タクシーで1時間ほど行くと緑の美しい湖が現れた。
私は迷わずバイクタクシーに乗って湖畔のすぐ側にあるホテルを目指した。

部屋に荷物を置き湖畔に向かうと本当にきれいな眺めだった。
ずっと先の地平線まで起伏の無い緑鮮やかな風景が広がっており、
その湖を水草が緩やかな風任せに流される光景は、
牛のいないオランダまさにそのものであった。

私が腰を下ろしたカヌーをつないである桟橋周辺の水草は、
きれいな紫色の花をつけており、その場を離れるのにかなりの労力を費やした。

人口50万のコトヌーはそれ以上に人が居そうな都会であったが、
ポルトノーボは首都、そして人口20万とは思えないほどのんびりとしていた。
街は車とバイクであふれていたコトヌーとは180度異なり静かで、
オレンジ色やビンク色の目立つコロニアル風の建物は、とても柔らかい感じを与えてくれた。

ポルトノボというのは、フランス語ではなくポルトガルの地名で、新しい港」
という意味である。17世紀にポルトガル人により建設された街は、
雰囲気も少しも異なっていた。

パステル調の街を歩いているとどこかの片田舎を歩いている様だった。
国会や省庁などのコロニアル風の建物から、そこはやはり首都に違いなかったが、
どれも小さく可愛らしくまるでおとぎの国の首都と行った雰囲気であった。
そんなためかただ何もなくぶらぶら歩いているだけで楽しかった。

唯一困った事といえはレストランの数が少ないのと、
あっても今日は食べるものはないよと返事が返って来ることが多かった。

ホテルのオヤジが今日は一週間に一度の市が、10kmほど離れたアジャラで
開かれているからぜひ行って来るがいいと教えてくれた。

食後の散歩にその市を訪れた。
バイクタクシーで少し走ると赤土のラフでのどかな風景が広がっていた。
市もそんな中にあった。早速中をふらついてみたがかなり広そうだった。

そんなに暑くはなかったが赤土が暑苦しく 早々に喉が乾いてしまった私は
近くのバーに入った。ビールを頼むつもりが、なぜかファンタが飲みたくなり
頼んだがなく、代わりに持って来てくれたのがグレープフルーツの炭酸飲料だった。
名前はフィジーとベニン産である。

よく冷えたジュースと金属のコップを持って来てくれたためかとても美味しく、
ベニンにいる間ずっとはまってしまった。
喉もすっきりとし、市場探索を始めると入り口こそ観光客相手の楽器とかを
売る店があったが、それ以外は全く日常的な物が売られていて、
まさに生活に密着した市でその雰囲気は観光ずれしていない、貧しさが無い、
活気がある、種類も多い、 人口的な感じもしないと他の市とも異なっていた。

特に僕の目を引いたのはかぼちゃの殻でつくった食器で、
持って帰ろうかなとしばらく考えてしまった。

市の探索も十分に楽しんだ後、郵便局と銀行に用があり再びバイクタクシーで街まで戻った。
今日は12月1日と月初めなのか郵便局が以上に混んでいた。
通常であれは待つのだが、なんせ日焼けのためじっと立って入られなく、
どうしようかと思ったところ、私の列の後ろに付こうと思って人が驚いていた。

その辺に居た人に尋ねると切手だけであれば、向かいの絵葉書屋でも
売っているというとの事で助かったが、次に訪れた銀行はそうは行かなかった。

冷房が効いていて快適であったが、そこも大勢の人で溢れていた。
更に悪い事に誰一人として列なんて作ってなく、 担当者の手が空けば
次は私の番だという注意を引かなければどんどん割り込まれてしまう。

そんなわけで私もカウンターの周りに群がって待たなければならなかった。
カウンターにへばりつくようにしたりとそれなりの工夫を考えてみたが、
やはりどんなに頑張っても10秒たりとももたない。
足踏みや陸上の選手が出発の間際に足の緊張をほぐすためにぶらぶらとしていれば
全く問題はなかったのだが、そんなことをしながら銀行で自分の順番を待っている人なんて
見たことはない。

ただでさえ私だけが彼らと肌の色が違うため、よく目立つのにさらに目立ってしまう。
そんな考えが僕の頭の中を横切ったが、どうしても両替の必要があり
足をぶらぶらさせながら待って何が悪いんだという態度で30分近く待った。

聞いてくれば教えてやろうと思ったが、周りの人々はこちらをというか、
私の足が気になっている様子だが、視線が合うとすぐに逸らす為
説明してやる機会がなかった。

宿の裏の小船の桟橋は私のお気に入りの場所になっていた。
夕暮れの光景をボーっと眺めていたがこれもまた絵葉書のような光景だった。
本当に飽きない。別に普段は何とも思わないのだが、
この時ばかりはだんだんと落ちていく太陽が地平線で真っ赤に燃えていたのが
突然吸い込まれるようにして姿を消すのがとても神秘的思えた。

神秘的というと宿の私の部屋である。
すっかりあたりが暗くなった頃、部屋に戻り電気を点けてみたら
何と濃いブルーの照明だった。

目には優しいかもしれないが、そのひんやりとした明かりは何かお化け屋敷の中のようで
不気味であった。

夕食を取りに照明がぽつんとしかない外に出ると、どこも静まり返っていて、
結局はまたホテルで食べることになった。
ホテルの食堂といっても敷地内に屋根だけ付いたオープンエアーの中にあり、
夜の涼みにはもってこいであった。

そのためか地元の若いカップルのデートスポットになっているらしく、
私以外はみんなカップルだった。



ホテルの裏でまた湖をボーっと眺めながら旅の最後をどうするかを考えていた。
そのままこのポルトノーボでゆっくり過ごそうとも思ったが、世界遺産にも登録されている
ダホメー王朝時代の宮殿を見ないと、ベニンの人に対して失礼かなとかなりハードではあるが、
その宮殿のあるアボメーに向かうことにした。

ベニンの交通網はコトヌーが中心となっており、ここは首都にも関わらずどこに行くにも
コトヌーを通ることが多い。そんなわけで見ているとコトヌー行きばかりだった。

多少の焦りはあったが、タクシーの運ちゃんと客を振り分けている人との言い争いは、
なかなか見ごたえがあった。税金かコミッションでもめているようだったが、
最後に後部座席のシートを取り外し持っていった客振りのオヤジに勝負はあった。

一時間近くアボメー行きの乗合タクシーに遭遇したが、やはり見覚えのある道を
そのまま戻ってゆくので確認するとやはりコトヌー経由だった。

私と網一人を除き他の客はコトヌーで降りたので、アボメーへの客集めをすると言いつつ
買い物をしたり朝食を摂ったりとのんびりしたものだった。
私もまあそのうち出るだろうと屋台で朝食にした。
ようやく目的地アボメーに着いた時は使える時間が3時間しか残っていなかった。

王宮とあったから高く立派な塔でもあるのかなと勝手な想像をしていたから、
塀の外から何も高い建物が見えなかったので、間違ったのではと思い入場券売り場で、
何回となく念を押してしまった。

最初はそうですと答えていたお姉ちゃんも最後は、切符に指を刺しながら怒っていた。
それほど質素だったのである。
一人では廻ってはいけないらしくガイドが来るのを待たされた。

やはり立派な建物はなく、どれも田舎の大きな別荘程度にしか思えなかった。
内部は歴代の王の玉座や遺品、武器や道具などが展示されていてまあまあであったが、
展示状態はかなり殺風景だった。

人件費の関係かいくつかの建物はガイドが鍵をあけ電気を点けると
いったシステムを取っていた。建物は別にしても、ガーナのケープコーストで訪れたような
内容の博物館を期待していたのでかなりがっかりした。

一通りを流してみた後、食前酒代わりにとだれもいない中のカフェでFizzyの
グレープフルーツジュースで、喉をうるわしていた。
カフェの兄ちゃんと世間話をしていたら空腹感を覚えたので街に食事をしに行った。
最後の食事だからどっといろんなものを行くぞと行き込んで探したが、
どこもドリンクオンリーだ。

バイクタクシーの兄ちゃんに連れて行ってもらった所も残念ながら今日は食事はないと断られ、
ようやくありついたのは屋台飯だった。見るからに食欲をそそらなさそうなもので昼食は諦めた。

アボメーに到着した時は時間が足りないと思っていたのが、居間となっては余り過ぎてしまった。
結局王宮内にあるカフェに戻り例の兄ちゃんと雑談でもして暇を潰すことにした。

グループフルーツジュースが品切れで、あるものを言ってきたがその中でコーヒーソーダというのが、
私の気を引いた。コーヒー味のキャンディーとソーダキャンディーとを一緒にしたような不思議ではあるが、
なかなか行ける味であった。

私がその兄ちゃんに結局何も食べなかったと話すと、ちょうど食事中の彼は私に、
「この飯はうまいぞ。よかったら君の分も買って来てやろうか。」と私に提案した。

もちろん断ったが、まずそうに見えるかと言われ、一緒に食べることになった。

彼の食べているのはブルキナで食べていたぶっかけご飯だったが、
空腹のせいかかなり美味しそうに見え、魚のぶっかけご飯で最後の食事を楽しんだ。

ぶっかけご飯に始まってぶっかけご飯で旅は終わった。
振り返ってみるとぶっかけご飯を食べている時が一番幸せな一時であったと思う。
またぶっかけご飯を食べに戻ってこようという思いを抱いて、
私はアフリカの大地を離れた。

おわり

            

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