Burkina Faso 2


赤土のラフの道をバイクの後ろにまたがって走るのは,
思ったよりも体力がいるものである。

昨日ギネスを飲みながら何気無しに今回の旅の目的の一つに
田舎巡りがあることを話したら、
「それじゃあ、僕の田舎に来るといい。
とても美しい村だからきっと君も喜ぶと思うよ。
乗合ワゴンもけど、途中の村も見てもらいたいから、
バイクをチャーターして行かないか。」

そして今、乾燥した風景の中をでこぼこ道に揺られ走っていた。

最初は草原、背丈の低い木、所々に見える村のパノラマを楽しんでいたが、
小一時間も経つと、足置きが半分壊れている事も手伝って肩から非常に疲れてきた。
しかも道が乾燥していて、対向車が来ようものなら
砂埃で一瞬なにも見えなくなってしまう。

彼も疲れていたようなので、ジュースぶれいくにした。
そして、しばらく走ると彼の通っていたという小学校があり、
弟の一人がそこで学んでいるという事だったのでその子に会いに行った。

長方形の校舎は2つのクラスから成り立っていた。
どちらも休憩中で生徒たちは外でおのおの昔の映画に出てきたような
黒いボードを抱え休んでいたが、先生がいるせいかみんなとてもおとなしい。
そして子供たちも大変よく教育されている。
ナナの弟はいなかったが、少し離れたところにある小さな教室にいるとの事であった。

行くとちょうどフランス語の文法の授業中で近未来形についてであった。
Je vais aller au ciné.(映画に行きます。)
Elle va manger.(彼女はこれから食べます。)
と学生時代の記憶が甦った。

私が黒板をジーッと眺めている間に彼は弟に何かをつぶやき、
コインを一つ差し出していた。
おそらく「勉強の方はどうだ。これでおやつでも買いなさい。」とでも言ったのであろう。

私もその授業に参加したかったが、間違って子供に笑われるのも何だったので
そのまま黙ってそこを出た。
ここでも子供たちはよく教育されていた。
ヨーロッパでないアジアの遠くからこんな田舎にやって来たというのに、
誰一人騒いでこなく、ちょっと拍子抜けしたというのが本音だった。

途中彼の兄弟、親戚の家に寄り道した為、実家に着いたのは出発から3時間後だった。
何度も行かないと分からないようなあぜ道に入り、トウモロコシや稗の畑の間を
ずっと奥に行ったところに、ココナッツの葉の帽子をかぶった円錐形の
可愛らしい家が何軒か集まっていた。

複数の家族で生活しているように見えるが、内部は狭く大人が二人ほど眠り、
服を吊るし生活用品を少し置くだけの三畳間のスペースがあるだけだった。
そんなことから子持ちの家庭は三軒くらい必要なのである。
それに付随して壁までココナツの葉で編んだ高床式の穀物貯蔵庫、
山羊などの家畜用の小屋、夜間に鶏を守るための蓋と全てが円錐形をしていて、
一つの要塞を成しているように見える。




土と家畜の糞を混ぜ合わせて作った家の中はひんやりしていたが、
家族全員これまたココナツの葉で編んだ日よけの下に集まっていた。
つまりそこが居間に相当する場所でラジオがかっかていた。
また私の興味を引いたのに台所があった。
広い台の上には、少し間隔を置いてノートパソコン大の平らな石が四つほど埋め込んであった。

ちょうどおばさんが稗をその石の上ですりつぶしているところで、
しばらく作業を眺めていると次のような事が思い浮かんだ。
ここでは料理の基本はすりつぶす事にあると。



そんな満足感に浸っていると、ナナがとっておきの展望台に案内してくれるとのことで、
彼の弟を2人連れて外に出た。

さっきから気になっていた丘を目指し歩いていると、畑の向こうにはキリンや
ライオンが現れそうなサバンナが広がり、その中にぽつんと生えている
葉の少ない木の光景はテレビに登場する野生動物の宝庫アフリカのイメージであった。

サバンナの中に入っていくと私自信がライオンになったような気分になった。
それを表現すべきガオーと威圧感のあるポーズで写真を撮ってもらったが、
現像した写真を見るとまるで用を達しているかのような間抜けな姿にしか過ぎなかった。

丘と思っていたのは実は黒い一枚岩であった。
平坦で起伏に乏しいブルキナでは、このような低い丘からでも遠くまで続いている
サバンナの風景を360度のパノラマで楽しめる。

横になり、しばらく遠くを眺め目を閉じると、サバンナがわずかになびくそよ風の音色が
聞こえるぐらいで、澄んだ空気も肌にとても心地よかった。

こんなにすばらしい展望台はそうあるもんじゃないと感動していたら、
ナナとその兄弟がこぶし大の石で岩を叩き始めた。するとどうだろう、
叩く場所によって違った音色が聞こえてくる。
つまりそれは楽器であり、天然の石琴なのだ。

彼は誇らしげに「私は子供の頃はこんな風に遊んだものさ。」と語ったが、
本当に遊びの天才だと、ただ度肝を抜かれるばかりだった。
アフリカの人々が音楽センスに長けているのが何となしに理解できる。

私もどれどれと石を拾い試してみたが彼らのようにはうまく出来ない。
それもそのはず丘の上ならどこでも叩けばいいというわけではなく、
ちゃんと音の出る場所が決まっているのだ。
この一枚岩の丘はただ者ではない。食糧を干すのに使うと思えば、
所々にある窪みは少ない貴重な雨水を溜める水瓶でもあったから本当恐れ入った。
そんな場所に連れていってくれたナナには感謝感激である。

帰りには子供の時に登ったという木に寄り、私も童心に返って
時間の過ぎるのを忘れて遊んでいた。
野生動物は現れそうで現れなかった。
結局は家畜の牛の群れを見かけただけであったが、そののどかな光景に満足した。



汗だくになって家に戻ると食事をごちそうしてくれた。
最初に廻ってきたのがなんともびっくりあのゴマであった。
これは日本でもご飯の上にかけたりと用途が広いなどと説明すると、
貴重なゴマをお土産にまでもらった。

次に出されたのがかぼちゃのからを半分に割ってつくったドンブリの中には、
とんこつスープのような液体が入っていた。

井戸水のせいか冷たく飲みやすかったが、次の瞬間喉に火が付いたように感じた。
「辛い!」そう叫ぶと、みんな爆笑の中ナナが、
「君の後ろを見てごらん。唐辛子の実がなっているだろう。それだよ。」と教えてくれた。

それからしばらくすると水の入ったドンブリが出され飲み水かと思っていると、
ナナが手を洗いはじめた。
その手を先ほどのトンコツスープに入れ団子状のものをちぎって食べはじめた。

スープの辛いのはきつかったが、団子はなかなかいける。
聞くと先ほどおばさんがすりつぶしていた稗で作ったものである。
量もさほどなく質素な食事ではあったが、私にとってはごちそうであった。

しかし実際はそんなのんきな事は言ってられない。
というのも私がこの国を知ったのは、子供の時に持っていた
図鑑の中に出ていた“オートボルタの干ばつ”であったからだ。
オートボルタというのは植民地時代からの1984年までの国の呼び名で、
南のガーナを流れるボルタ川の上流に位置することに由来する。

その後大飢饉に見舞われていないとはいえ、アフリカの中でも内戦中の国は別として
世界でも最も貧しい30か国の一つに入っている。

食後にお礼にとみんなの写真を撮っていると隣のおばさんが上半身裸で
頭の上に臼を乗せてやってきた。
「おおこれぞ想像していたアフリカの田舎の光景だ。」
とモデルになってもらった時には、物珍しいだけだったが、
帰国後に現像した写真を見ると、40代でカラカラに萎んだおっぱい、
骨が浮かび出るほどにやせ細った体は、ショックだった。
それは彼女だけでなく、その村に居た子供たちも似たようなものだった。

そんな食糧事情の中、少量ながらビタミンやミネラルの豊富なゴマが、
重要な役割を果たしていると知ると今まで弁当箱の蓋に
へばりついたまま放っておいたことに対し、懺悔の気持ちになった。

そんな思いからお土産にもらったゴマを今も大事に食べている。
今回の旅を終えて率直に感じた事は三食をきっちり、
しかも満腹なまで食べることの幸せさである。

別れ際にまたナナは家族に今度は札を渡していた。
何と親孝行な息子だ。
彼のような人間にこそ頑張ってもらいたいものだが、
彼には大きなハンディーがあった。

それが分かったのは帰りに寄った途中の村で、彼の村が地図上どこにあるかを
聞いたときだった。
草の茂り具合や太陽から見ると南の方に進んだみたいだが具体的に知りたかった。
彼のいとこらとビールを飲んでいるときにここはどの辺りだと聞くと、
しばらく地図を見つめた後
「ワガはどこにある。」と私に問いかけてくる、
「その真ん中にあるじゃないか。」と返答すると、間を置いてこう言った。

「僕は文字を読む事が出来ないんだ。」
ショックだった。

今となってはさっき新聞を彼に渡したとき眺め、
それを上から下へと目をやっているものの、
視線が定まっていないことが今となって理解できた。
彼が自国を出たいという気持ちは良く分かるが、そうするにはまず読み書きを
習得することが、先決でないだろうかという考えも同時に私の脳裏を横切った。

ミシュランの地図にはセセネといった小さな村は載ってなかったが、
帽子で有名なサポネというさっき通った村の南東の道路沿いにいることが分かった。
(ワガからの)距離にして大体7,80km位のところだろうか。
だから疲れたわけだ。とりわけ帰りは10kmおきに疲れを感じたので、
ここで彼の親戚を尋ねるのに休んでよかった。

舗装された道路になってしばらくするとワガに到着した。
街中の食堂に入ってナナがティッシュで顔を拭くと、
肌が黒いせいでそれまで気づかなかったのだが、
ティッシュの色が赤土色に変化していた。

えっ、と思って自分の顔を鏡で見ると、赤土色そのままの顔色をしていて、
まるでたった今鉱山から出てきたようで、お互い赤くなったティッシュを見て笑っていた。
この瞬間にさっきまでの疲れも吹っ飛んでしまった。

それにしてもなんとビールの旨い日なんだろう。



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