Ghana 4


市場はタコラディの街の中核を占めていた。

通りは市場の周りを取り巻くようにサークル上に走り、計画都市の感じがした。
市場はどこも似たようなもので、気づくと同じ場所にまたいたこともあった。

私はすでにクマシで、大きな市場を見ていたので、
この街で一番興味深いところも少し色あせて見えたが、ドラマは市場の外にあった。

路上の商人達は、市場の彼らよりもずっと元気があり、
ある青年は巨大なヤム(ユカというタロイモの仲間で、30cmはある子供の腕くらいの太さのあるイモ)
をこれでもかと、心配するくらいに大量に担いでいたし、
一人の女性が停車中の車に近づいたと思うと、突然大きく黒いオッパイをポロンと
ドライバーの顔に向けて出したと思うと、その男性は喜ぶどころか、
いきなり彼女を車内から押し、かわいそうにそのまま路上に倒れてしまった。

なんか面白い光景が広がっているなと思い、この街では人間ウオッチングを楽しむことにした。]



マイクを持って大音量で話している人の周りに人だかりが出来ていた。
何か商品のデモンストレーションをしているようだった。
群集を輪に取り囲んでいる感じから何の商品かと思ったが、そういったものは何も見当たらず、
次に小話でもしているのかなと、想像したが、時々「ハレルヤ」といった単語が
聞こえてきたことから、宗教について話していることがおぼろげながらにつかめた。

このように言葉が分からないと逆に想像力が働き、一種のゲームのような感覚で
なかなか面白かった。それにしても彼の話に聞き入る熱心な人たちのこと。

タコラディの街は色々なものが混ざり合っていて一言では説明できないところだった。
マーケットストリートを一回りした後、少し行ったところが海であることを思い出した。
地図を見ると少し距離があったので、タクシーに乗って私を降ろしてくれたのが
なんとゴルフ場の前。

キャディが私にすぐさま寄ってきて私が、当たり前だが、ゴルフをしに来たと思い色々聞いてくる。
質問攻めの彼を遮り、私は一言海を眺めに来たというと一つも驚きの表情を見せず、
ゴルフ場の奥を指差し、その中を横切るように教えてくれた。

海岸は私が期待したものと違いがっくりと来たが、すでにいた地元の人たちに習い
腰を下ろし海を眺めた。海からの強い風、虫が多かったりでゆっくりとする場所ではなかった。
まあそれはそれとして、ゴルフ場から海を眺めるなんて貴重な体験が出来た
だけでも良しと思おうか。

私の泊まった宿のスタッフはすごく感じが良かったが、ハード面、
つまり部屋は対照的だった。
やたらと眩しい裸電球が一個ぶら下がっているだけで、巨大な扇風機はうるさい
かなりレトロな部屋。
扇風機が電球を通過するたびに、ディスコの照明のように一瞬光り、
本なんてゆっくりと読める環境ではなかった。しかも、近くの音楽テープ屋から
聞こえてくる大音響は、部屋をディスコに変身させるのに十分であった。

浴室はシャワー室というより、殺風景なコンクリート部屋といった
少し気味の悪いものだった。

シャワーを浴びるには、屋外にある巨大なプラスチックタンクから水をバケツに
満杯にして浴びる、俗に言うバケツシャワーであった。
最初は小学校学校の掃除で使ったようなバケツ一杯の水では、
体と髪までを洗いきることが、難しかったが、コツがあったのだ。

赤ちゃんが入浴の際に使う小さなバケツ。
これを使うと無駄ななしに満足できるくらいバケツシャワーを楽しめるのだ。
最初はバケツごと思いのの抱えては、少しずつ必要な部分にかけるなど無駄なことをしていた。
それからと言うものはそのミニバケツが見当たらないときは、宿の人に聞くようにした。

体をリフレッシュした後、私は夜の散歩に出かけた。
商人、屋台、ロウソクやアルコールランプの灯りが、
市場の周りの通りの雰囲気を盛り上げていてくれた。
ちょうど10時ぐらいで、夜の早いアフリカで、私はこんな時間に誰が野菜とかを
買いに来るんだろうと少し不思議な感じもした。
その疑問は翌朝解けた。

そこを歩くといったん店をたたんだ様子もなく昨夜と全く同じ光景が広がっていた。
つまり路上で寝泊りしている人も、マットレスを見ると想像できた。
しばらくあたりを観察していたが、特に売れているわけでもなく、
メインはおしゃべりの毎日のようだった。

私から見ると何かむなしいような気もしたが、彼らはこの単調な日々でも、
あきらめながらもそれなりに、楽しく振舞って元気に生きているようだった。

この旅行中、時間を分刻みで私の手でつかめるくらい時間の流れを遅く感じた。
旅行から戻ると、あっという間に一日がとても、目で追えないくらいの速さで過ぎていくようだ。
 
時間の流れもここは単調なせいかどうやら、私の生活圏の2倍の遅さで動いているようにも感じた。

私の勝手な解釈だが、私の生活圏では、社会の激しい流れ、社会的ストレス、
行える選択範囲の広さから、あっという間に一日、一月、一年が過ぎて行き、
あっという間に定年を迎えてしまうた人生は長く望むが、、ここでは人生50年と短くても逆に
80年も生きると、この単調な生活ではやたらと長く感じ、かえって幸せを感じないのではないか。

先進国の人たちが途上国の人たちは寿命が短くて可哀相と思うのは我々の発想であって、
彼らにとっては多少短くとも、それなりに、むしろ我々よりも充実しているのではないのかとふと思った。



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