Ghana 9

朝、波のささやきで目が覚め、バンガローの扉を開けると、
潮の匂いを全身で受け止めるといった最高の気分で迎えた朝だった。

しかし、ここからは少し違っていた。通常、トイレの場所は決まっている。
そんなんことは誰も考えもしないであろう。
ところがここにはまだトイレが存在しない。昨日の説明ではその辺でとあったのみ。

10年後の私だったら、とても耐え難く気が狂いそうになっていたかもね。

朝の目覚めといい潮風といい最高の環境のもとで、トイレが無いため
砂浜に穴を掘り大自然の中で用を足したが、こちらの方は最低だった。
昨日は食事の代わりにビールを呑みすぎたようだ。
今日は一滴も飲まないようにしよう。

そう決心してバンガローに戻ると、背が高くスポーツ選手のような立派な体格をした
男性が私を待っていた。宿の世話係のサミーである。

「おはよう。朝飯はもう食ったか。」と私に聞き、
「体調が優れないから、いらない。」と答えると、
すぐさまに「よし、リバーサイドクルーズに出かけようか。」とすっかりその気になっている。
全く調子のいい奴だ。
「他のツーリストは知らないが、私はお金がないから、昨日の金額なら話にはならない。
そうだな、7000セディならここにもう一泊出来そうだからいいけど。」
そう言うと彼は嬉しそうに私を急かした。

漁に出かけるところの写真をまずは撮りたかったが、朝7時を回っていた為か船はほとんどなく
寂しかった。昨日は良く見えなかったが川の中州にはココナツの木が茂った小島があり、
いかにも南の島のリゾートといった雰囲気だった。

オプショナルツアーはカヌーに乗って始まった。
払った金額からして、ボルタ河の本流を1時間ほど適当に流すものと思っていたが、
カヌーは小島の中を、流れる支流に入り川幅もだんだんと狭くなり、
そして障害物などでちょっとしたジャングル探検になれた。

そう気分が盛り上がっている時にサミーは、エクスカーションは4時間を予定しているからと
私を思い切りわくわくさせてくれた。

葉緑素の香りを体全体で感じていると、前方に木のない開けた場所が見えて、
島の子供たちが遊んでいた。 
他のカヌーが一隻泊まっているところを見ると島の船着場であった。 
我々もそこで船を泊めて島に上陸した。

河の支流で見た光景からアマゾンを訪れた時の記憶が甦り、
てっきり密林の中をぬけていくものだと思っていたが、案外開けていた。
おそらく多くの人が生活しているのだろう。
広い原っぱを抜けて少し行くと、ココナツの木の茂った小さな集落があった。

その片隅では、ドラム缶に何か液体を入れ沸騰させている二人の村人の姿が
なんとなく気になり、挨拶もかねて、その作業をおこなっていた二人の青年に近づいた。

水を沸騰、ろ過して飲料水をつくっているのであった。
朝歯を磨く時に含んだ水は飲んだら吐きそうなくらいまずかった。

ちょうど河と海とが交差するこの場所では、水に少し塩分を含んでいてそのまま煮沸しても
どうやって飲むんだろうと思っていたところで、ちょうどよかった。

水をろ過しているドラム缶のそばの家を訪れると1000セデイでココナツの飲み放題はどうだと
声をかけられた。
アクラの市場で試したのは一つ500セディでしかも日中であったため生温かかった。
木から新鮮なものを取ってもらうという体験はこの先ないと考えて1000セディを渡すと、
10歳にも満たない女の子が、サルも顔負でに器用にスイスイとココナツの木に登り始め、
ボンボンと大砲の弾を落とすかのように数個地面に落とした。



ココナツの殻は大変固く斧のようなもので何回も叩いて頭の部分を開けるが、
実際後に訪れたところで観察してみると、以外にコツがいるようだった。

ココナツジュースを飲むための穴を頭のてっぺんに直径2〜3センチほど開ける。
その作業を下手な人がすると時間がかかり、喉が渇いている時には、
その間が拷問に耐えているようにも感じられるし、ようやくジュースにありつけても、
かすのようなものが中に入って飲む時もそうだが食べる時も舌に触り不愉快である。

そのココナツの殻が天然素材のコップになると待っていましたとばかりに、
風呂上がりのビールグイーと一気に飲むように喉を通った。
木にぶら下がっている実は完熟していないから、少し物足りなさを感じるが、
自然に冷えていて実に美味しい。
ラグビーボールを少し小さくした実一つから瓶ジュース一本分から熟しているのになると
1リットルも採れるとあったが、私が実際に飲めた最大はハーフリットルが最大であった。

村の青年の斧さばきがとても良くどんどんとココナツが飲める状態に変身してゆく。
しかし2個も飲めばジュースは十分であり、飲んだ殻を渡しそれを真っ二つに割ってもらい、
殻の内側に薄くへばり付いた白い果肉を食べた。
逆に果肉は量が少ないからいくらでも食べれるのである。

結局残りのココナツは持っていた水筒の中に満タン入れてもらい、再び村の探索に出かけた。
ところが歩けども土造りの四角い家があるだけで、他にはこれというものもなくその村を後にした。

カヌーで再び河の本流に戻り河口方面を進むと、立派な別荘や泊まり客は居るのかと思うくらい、
ひっそりとしたホテルが一件あった。その豪華な一帯で引き返すのだろうと思ったが、
サミーは元気にグイグイと別の島を目指して漕ぎ進んでいった。

それからというもの、彼の知り合いのいる大小さまざまな島を訪れ、写真を撮ってやったり
ココナツをごちそうになったりと、小規模ながら立派なクルーズと呼べるものだった。

途中河と海の堤防的な役割をしている島で海を眺めたが、こちらの方は快晴にもかかわらず、
波がすごく高く荒々しくとても泳げるどころか、私の乗ったカヌーで行けば一たまりもなく波に
飲まれてしまうのが明白だった。

それに対して河は波もほとんどなく穏やかで、河原というよりもきれいなビーチで、ココナツの木で
覆われている島は、南国ビーチのパンフレットに出て来る写真そのものの美しさだった。
浅いところはそこまで透けて見えそこには今はあまり見かけなくなったタニシが住んでいたし、
小魚の姿も見かけ、如何に水がきれいかが分かった。



木からもぎたてのココナツを食べる機会はないだろうと、考えていたら大間違いで、
寄った島では、必ずといってほどもらい、今日は下痢をしているからと言うと、
「そうか、それならうんと食べるがいい。ここではココナツは薬が割りにもしている。」

そんな風に最後にはおみやげに大量にもらい、その日に食べた数は10を上回った。

やたらと長細い島に上陸した時に訪れた家は、その島のオーナーいう人だった。
その彼が対岸の島でダンスフェスティバルをやっているからぜひ見に行こうと私らを誘った。
対岸といっても島の短い部分に対してで、長細い島のほぼ端の彼の家からは距離があるし、
カヌーのスピードだから歩いているのとそんなに変わらなく感じた。

上陸した途端から賑やかな音楽と司会者の雄叫びとが聞こえていたが、
こんなダンスフェスティバルが、あったのかと度肝を抜かれるほどノリがよかった。
特に40代のおばちゃんグループの頭、手、体全体をパンクロックやヘビメタ以上に
狂ったように動かす姿は、何か魔物にでもとらわれていのではというくらい壮絶だった。

最初私も踊りの輪の中に入ろうとしたがその踊りを見てやめた。
普通この手の祭りは参加しないと楽しくないのだが、火山の底からどっと溢れ出す
マグマのようなエネルギッシュな踊り、この晴れの日のために各自着飾った
美しい女性の民族衣装を見ているだけで、野外ダンスショーを見ているようだった。

結局、島を出たのは太陽がオレンジ色になってからであった。
ずっと踊りに見取れていたわけでもなかった。
訪れた家でココナツをごちそうになっていたのである。
さらにガーナの男友達に連れられてというオランダ人女性も輪の中に加わったから、
ゲルマン系の白人ということで男連中は嬉しくてたまらない様子であった。
それはサミーも同様で、めったに出会わない白人女性ということで、
私が暗くなるから行こうと言っても腰が重かった。

一緒に来た島のオーナーとやらを送り届けると、ココナツのお土産があるというので、
しばらく停泊していたらとうとう日が暮れてしまった。それとほぼ同時出発したものの、
その辺りは草木生い茂っていたから、待っていましたといわんばかりに蚊が襲ってきて
足だった私に、靴下を捌かせる余裕もなく見事に数箇所ほど食われてしまった。

そんな容赦ない蚊の攻撃も岸を離れ河の中ほどに着く静かになった。
半月が出ているとはいえやはり周りが真っ暗闇のナイトクルーズは不気味だった。
その暗闇よりも不気味な雰囲気を作り出していたのは、すぐそばから聞こえて来る
海の荒い波の音であった。

特に河口に近づくと緩やかではあるが波があり、波がなくてもほんのわずかしか
水面上に姿を表していないカヌーが、波のためあと数センチで転覆してしてしまうという感じだ。

カヌーにはまるで、ココナツ売りの商人に見えるくらい大量でよく船が沈まなかったくらいだ。
1時間以上ひたすら漕いでようやく着いた時はすっかり疲れていたが食欲だけはあった。
オクラ料理を食べたかったが時間も遅く魚のグリルのヤム(キャツサバ)の一種を食べた。
パームオイル(やし油)を使っているせいか全体に重く独特の味がした。


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