Lithuania 01


 朝車内で目覚めると、もうリトアニアに入ってもよい時間なのにパスポートチェックがない。
通路の時刻表を見ると大幅に遅れているようだ。それにして一泊二日の短い時刻表はウラジオから私には、
かなり物足りなかった。

 ようやくロシア出国となったが、係員は何かイチャモンを付けてきた。
私がロシア語を解さないので、私の上のベッドにいた人が英語で説明してくれた。
ビザは今日までなのだが、二日間残っていないといけないという。彼も同じことを言われていた。

彼はロシアが出来たので交渉してくれたら、パスポートを持って係員が消えたかと思うと、すぐに戻ってきて、
すぐスタンプを押してくれて無事ロシアを出国。しばらくして簡単にリトアニア入国にスタンプをもらうと、久々に
自由諸国にもどれたようで、開放感を感じた。

リトアニアにそのような空気が漂うのは、1940年にソ連に無理やり併合され、90年に念願の独立を果たすまで、
抑圧に苦しんだためであろう。実際昔のガイドブックにの冒頭には、リトアニアはソ連邦をなす一つの共和国であると
書かれていたほどだ。

この国は日本にとってなじみがなさそうな国であるが、実は日本のシンドラーと言われる外交官・杉原千畝が6000人
ものユダヤ人を救ったことでつながりがある

さらにこの小国は地理上ではヨーロッパの中心点となるところである。これは意外と知られていない。

私を助けてくれた青年の名前はフェリペというスペイン人で、ロシアのアナーキーなところ、活気が気に入り、
報道写真家として活躍していたが、稼ぎが悪く、ビジネスを起こそうと何度か来ていて、首都ビリュニュスにロシアビザの
再申請のために行くのだと話してくれた。

列車は二時間遅れでビリニュス駅に到着。首都というよりも地方都市の駅といった言葉が似合う、こじんまりとした
ところだった。

私の向かった宿は一泊10ドル。これがユースを除いた最も安い宿。これまで私の宿の予算は3ドルでよく旅行していたので、
すごく高かったが、テレビが部屋にあるからまあいいかとそこに居つくことになった。
このときはテレビが役に立つとは想像もしなかったが…

私がこの国を訪れたのは、独立後の空気がどのように変わったかをこの目で確かめることと、ベラルーシとウクライナの
ビザを取得するためである。結局ビザの関係で一週間近くを過ごさないといけなかったので、テレビを見てだらだら過ごす
にはちょうど良かった。

ビリニュスの街はとても可愛い。
地図なしにぶらつくのぴったりだ。
城壁の中を歩く限りは、新婚さんが手を取り合って歩くのが似合う。
特に午前中には市が立ち、教会の鐘の音を聞きながら散歩するとすごくロマンチックな雰囲気だった。

最初は洒落た感じはDidzioji通り付近だけかなと思っていたが、どこを歩いてもステキであった。
ブタの顔をしたパンなど可愛いものが売られていて、私には似合わないが、どうせ誰も見ていないからと一つ買って
試してみたが、お味もなかなかなものだった。



また丘の上にある城跡に上ると、そこからの見晴らしが素晴らしく、街がおもちゃの国のように見えた。
この場所が気に入り、ビザを待っている間の私の散歩のコースとなっていた。その時、ここは男女二人で来るところ
何だと、ある種の寂しさも感じた。

丘を下り再び街に向かい、大学のある黄色い建物のあたりを通っていると、白亜の大統領宮殿があり、上から
黄、緑、赤のリトアニア国旗が何本かなびいていて、静かな風が、ようやく手に入れた自由な雰囲気を感じさせた。

今度は誰か、素敵な人と訪れてみたいものである。

リトアニアの田舎

   



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