Ruissia 02
3日目、比較的大きな街チタに着くと中国系の乗客が乗ってきたり、中国からモンゴルを
経てきた列車が合流するウランウデはとりわけアジア的な要素が強くなると、もうイルクツーク
は近かった。イルクツークに着く前に、一度ぐらいは食堂車でちゃんとしたものを食べようと、寅さんと
半ば期待して食堂車に行った。念願のボルシチは、メニューにあってもないということで、
ボルシチにソーセージの入ったサリヤンカというスープを注文した。味も悪くなく、料金も
38ルーブル、表記はローマ字のRに相当するP(1ドル=28P)で、この調子だとメインの
魚も期待できるという感触をつかんだ瞬間、見事に期待を裏切られた。非常に小さな切り身で、
骨も多く食べにくい物であった。結局生暖かいオレンジジュースとで合計78P、寅さんもあまり
さえない顔で食堂車を後にし、コンパートメントで私は、ピロシキ、サワークリームの入った
クレープとビールで口直しをした。すると新聞を読んでいた寅さんが口を開き、記事を指しながら彼の住んでいるノボシビルスクに
フィンランドにあるようなサンタ村を造る計画があると嬉しそうに教えてくれた。果たして人口150万のシベリア最大の街は、有名観光地になるのであろうか。とても楽しみだ。
日もどっぷりと暮れ通路側の窓には世界最深の湖バイカル湖が見えてきた。
イルクツークからバイカル湖を目指すつもりのない私は、目を凝らして夜の湖を眺めていた。そうするうちに、ようやく73時間に及んだ旅が終わった。
24:53日付がすでに変わっていた。モスクワまであと、5184キロメートル。
☆
まだ新しくモダンなイルクツークの中央市場の2階をふらついていると、生ビールを飲んでいる
人の姿を発見。私もすぐさま注文して8Pを払う。琥珀色をしたビールはビターに近く大ヒットだ。
量も500mlと申し分ないし、値段もスプライトが10.5P、330mlのビン入りコーラが6.5Pと比べても
いかにビールが安いことか。ビールを味わっていると、ロシアの大地を踏んで以来どうも私は寒さと縁がないことに気づいた。
昨夜も駅前の温度計は−16℃で無風状態。今朝も帽子なしでも歩けるほどだった。
そうして街の中央広場に当たるキーロフ広場をぶらついていると、犬を連れて散歩していた
おばあちゃんに、どこから来たのと聞かれた後に、「まあ、こんなに寒いのに帽子はないの。
ちゃんと被らないと。」といった感じのことを言われてしまった。防寒に関してロシア人はかなり親切と見受けたが、別に私も痩せ我慢なんてつまらないことを
楽しんでいるわけでもなかった。単に寒くなかっただけである。たとえば日本の冬のコート。
たまたまある一日が暖かくても習慣でコートを着ている人がいる。ロシアでも気温が0℃に近くても
、またいつ寒さが襲ってくるか分からないためか、−30℃のときと同じ帽子を被っている。
私が思うに、それはそこに住む人々の習慣から来ているのではないだろうか。ソ連時代の威圧的な匂いがぷんぷんするその広場を後に、街の繁華街を目指して歩いた。
するとそこは歩行者天国で前方にどっしりと構えているデパートまでの間、柔らかい色とりどり
の建物の並ぶショッピングセンターになっていて、そこはシベリアと思えないほどだった。
その終点にある中央市場は街で一番モダンと思えるくらいの建物であったが、その手前のデパートが
気になって入ってみた。薄暗い館内は商品が豊富であるといえば聞こえはいいが、いくら地方都市
とはいえ本当にこれがミグやロケットを製造している国かと思えるありさまだった。そんなソ連の
遺産とは対照的に、西側先進国と変わらないモダンな市場は、新しいこともありきれいで清潔感が漂い、
商品を如何に見栄えよく見せるか、そしてその質の内容といい資本主義国となった新しいロシアの
縮図ともいえるだろう。実際、1階の食料品売り場を歩いていても先進国と変わるところはない。特徴というと、
やはりバイカル湖の魚の燻製が幅を利かせていた。料金も庶民的であるが、それは1階部分だけで
あって上に上がると、様相が異なってくる。カフェ、ブティック、雑貨屋などがあるが、カフェを
除くと西洋の商品が目立ち料金的にも一階とは一線をなしていた。おいしい生ビールにありつけ満足した後、先ほど歩いてきたホコ天の店を片っ端から覗いて
みることにした。というのも看板に書いてある意味がほとんど分からないことにまして、外からだと
二重扉の奥にあるのが何の店か分からないことも多かったので自分の目で確かめるしかなかった。
そのおかげで、ショッピングには興味のない私も、なかに入るまでなにがあるか分からないところで
楽しめた。何軒か見ていると、中は一つの店ではなく個人商店の集合体である事が多く、小さいながら
もちょっとしたショッピングセンターを形成していた。1時間でたったの21ルーブルという値段で
インターネットを使えるところがあり、メールを送ったりしていると夕方になっていた。さすが黄昏時ともなると冷えてくる。オレンジ色に輝く光景を見ようと、アンガラ河へと向かった。
厚い氷に覆われたその大河は夏には、ここから河かと分かるところに救命用の浮き輪が掛けてあった。
さすがに完全装備をしても寒く、風も突き刺すように痛い。人の姿も少なかったが、その中で沈みゆく
夕日を背景にエスキモーのような格好をした幼い子供と遊ぶ、母親の姿が印象的だった。
そして、彼らを眺めているはマイナス20度以下というのに、なぜか心が温かく寒さを感じることがなかった。日が完全に落ちると、夕食を兼ねて先ほどの歩行者天国を目指した。
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