Ruissia 04

 11時45分発(モスクワ時間06:40)のバイカル号(9号)に乗り込む。
隣のベッドの上下はロシア人夫婦らしき人間が乗っていた。



 列車が動き始めると車内が暗くなっているのに気づき、窓越しに外を見ると雪が強く降っていた。
そして、16時ごろジーマという駅に20分停車するようだったので、期待して遅い昼食を買い込もうとホームに
降りてみたが、なぜかこの寒いのにアイスを売っているおばあちゃんが一人だけで閑散としていた。
仕方がないので、持ち合わせていたカローリーメイトで栄養を補給した。

 その後も夕方に太陽が少し姿を現した位で、冬の厳しいシベリアの天気が空を君臨していた。



                           ☆

 マルニンスク(あと3719Km)で昼食の買出しに出るが、依然としてイルクツークまでは見られた、ホームで
食料などを売るおばちゃん達が、ずらーっと並んでいる光景に出会えない。時間があるのでずっと前方に
進んでいくと、バケツや乳母車の周りに人垣が出来ていたので、覗いてみると遂にピロシキを発見!
早速沢山買い込んで、一つを口に入れるとジューシーなこと。肉の量、たまねぎの割合も申し分ない。
雪が降り外は寒かったが、体はホクホクに暖まった。

 車内に戻ると何かイルクツークまでの列車と雰囲気が異なっているように感じた。
しばらく観察していると、通路に出ている人が少なく、車内もシーンとしていて、一瞬、一等車と間違えた
位い上品な雰囲気だった。私のコンパートメントにいる二人も同様静かであった。

 退屈になってきたので、彼らにこんにちはと、挨拶をすると女性のほうが私に英語で話しかけてきた。
やはり彼らは夫婦で、オルガとアレクセイと言う名前で、結婚3年目であった。彼女は養護学校の先生であった。
その時は私がまさか2ヶ月後に自らが、知的障害児の授業を受け持つことになるとは想像もしなかったので、
後で彼女に色々と聞いておくべきだったと思ったのもすでに後の祭りであった。

 一方彼は軍人でモスクワから1000kmくらいのところのチェチニア出身だというので、当時紛争状態に
あったこともあり、英語の話せない彼に代わってオルガ経由で聞くと、ロシア語で悲しそうな表情を浮かべ
ながら、僕の友人達も何人か命を落としたと、逆に聞かなければ良かった回答が返ってきた。



 雰囲気が重くなりオルガがジャガイモの皮を剥きだし、魚の缶詰をテーブルの前に置き始めたので、
私は気を使いベッド上段にいたアレクシィに仕草で、下に降りて私の側に座っていいよと、合図をしたら、
今度は彼らに一緒に食べましょうと招待されてしまった。フライドチキンも出てきて来るなど、道中の食事を
色々と仕込んできた様子だった。

 中でも気をひいたのが、クリームソーダというキャラメル色をしたジュースであり、味がペルーの黄色い
インカコーラに似ていて南米を懐かしく思えた。

 彼らの暖かい食事のおかげで、昨夜から熱っぽい体にも幾分か体力がついてきた。

 現地時間で21時を過ぎた頃だろうか、目を凝らして通路でタイガの夜景を見ていると、オルガが僕を
呼びに来た。コンパートメントに戻ると、なんと今度は夕食の招待であった。

 私はカロリーメートしかもっていなかったこともあり、さすがに続けては厚かましいと思い、丁寧に
断ったが、久々に英語も話せるからと私にラーメンを差し出した。

 なんとロシア製のラーメンであった。日本ではすごくポピュラーであるが、なぜロシアでと聞くと、意外な
答えが返ってきた。それはロシアも日本ほどでないにせよ、同様なのであると。しかも彼女の実家の
街にはラーメン工場もあり、物心のついた頃から食べていたというから驚きだった。日本に戻ったら、
日本のラーメンを送る約束をした。

 ただ食べ方はやはり異なっていた。




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