Ruissia 05

 昨日は初めて車内で豪勢な食事をとったせいか、
かなり中身の濃い睡眠となり風邪もかなり良くなった。
 
 オルガと話しているうちにアジア側最後の駅、スベルドロフスク(あと1818km)のところに到着した。
列車が20分停車すると必ず下車して、閉じ込められた車内から開放されるべく、外の空気を吸うのが、
習慣となっていた。昼食用の1,5リットルのビールと、ピロシキを大量に購入。

 さすがにここまで来るとシベリアの厳しい寒さとは違い、過ごしやすいのだが、逆に雪の積もった後が、
汚れていたりで、ホームがとても汚く見えた。



 車内に戻り、列車が動き出すとオルガがラーメンを私の分まで作ってくれた。そしてタイミングよく私が、
ピロシキを出したものの、彼の方が、ホームでおばちゃんたちが作っている食べ物はどうも、安全性が
気になるからいらないという。贅沢な奴と思ったが、それ以上進めることなく、次にビールを差し出すと、
こちらのほうは喜んで飲んでくれた。

 今回は日本のように普通にスープの入ったラーメンを食べていると思うと、アレクシィは横にあった
ケッチャップをドボドボとかけはじめ、あっけにとらわれて私がその様子を見ていると、これをかけると
うまいぞ。あんたもどうだいと私に提案をしてきた。あまりにも説得力のある顔だったので、半信半疑で
まねしてみると、これがなかなかいけるものであり、より食欲とビールが進んだ。さらにサーモンの缶詰
までご馳走になり、満腹状態の私は通路にでて、ウラル山脈のアジアとヨーロッパの境目にあるオベリスク
(1777Km)の写真撮影に備えた。

 列車は比較的低速で運行していたから、楽勝とにらんでいたが、目的地に近づくにつれて車はまるで、
オベリスクを見せたくないように、スピードを上げて走行を始めた。目が痛くなるのを我慢しながら、
それをずっと待っていると、それらしいものが視界に飛び込み、シャッターを押したが、一瞬遅いようだった。
ただ帰宅後に、写真を現像すると、ぎりぎり写っていて嬉しかった。

(左側がアジア、右側がヨーロッパ)

                            ☆

 朝岐路ポストを見ると425kmになっていて、モスクワまで遂に三桁の距離になっていた。
昨夜に雪が降ったようで木々が全てクリスマスツリーだらけの光景が広がっていた。

 私が雪景色に見とれていると、また彼らにラーメンをご馳走になった。本当彼らの親切心には言葉が出ない。

 列車は最後の停車駅ヤロスラブリに到着。
ついに時差もなくなりモスクワと同じ10時25分を指していた。岐路ポストも285とゴールは近かったが、
到着までには、後4時間もかかるのである。

 通路にいた人もいつの間にかいなくなり、ラフな格好から、きちんとした服装に着替えたりと準備が大変な
ようであった。私も車内では、Tシャツ一枚に素足だったから一応は防寒着に着替えた。そうこうしているうちに
残りの距離も後100kmを切ったが、まだ二時間はかかりそうだったので、食堂車を覗くことにした。



さすがバイカル号と番号でなく名前がついているだけあって、立派な食堂車であった。
青いテーブルクロスで統一されていて、すりガラスにバイカルと書かれていて、木目調の壁は20世紀
初頭を思い出させる。

 今度こそはボルシチが食べられると期待したものの、イルクツークまでの時と同じく、サリヤンカしかないという。
しかも値段も倍ぐらい高いと来る。スープに2ドル以上も使えるかと、せっかくだからとりあえずはビールだけを
注文した。お客も警察が二人のみで、ここもひっそりとしていたが、ゆっくりとくつろげた。

 そしてレストランで働いている人たちもモスクワが近いせいか、笑顔でサービスを提供してくれた。

 コンパートメントに戻ると岐路ポストが、遂に50を切っていた。
40を切ると街らしくなり、15からはトロトロと走り、最後は3のところまで確認が出来た。

 それからまもなく私を乗せたバイカル号はウラジオストクから9277Km先の、終着地モスクワ・ヤロスラブリ駅に
一分のずれもなく、ぴったり定時にホームにその旅を終えた。

 ウラジオストクで距離数を見たときは、果たして本当にたどり着けるのだろうかと思ったが、私の足はしっかりと
モスクワを踏みしめていた。




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