Ruissia 06

 モスクワでの私の宿泊先、イズマイロボホテルは郊外にある、巨大な4棟の建物からなり、私の部屋
1529号室もこれまでの宿とは異なり、広く立派なもので、長旅を終えた体を休めるには最高のところだった。

 ゆっくりとシャワーを浴びていたら、17時をまわりすっかりと夕方になっていた。夜の街を歩くのは楽しそう
であったが、まだ完全に風邪から回復していなかったこともあり、夕食を求めてホテルの近くを探索した。
 
 3分くらい歩くと地下鉄の駅があり、そのまま歩いていると、屋台やキオスクが沢山並んでいる一帯を
発見した。ちょっとした野外市場で、地元の人たちで賑わっていた。さらにシベリア鉄道の途中の駅で
見たような、おばさんたちが、横一列に立って各自持ち込んだ商品を売っていた。もちろん、私はピロシキ
を探しおやつ代わりに食べるが、具が貧弱であった。でも他にも沢山ピロシキを持っている人がいるはず
だからと、他の人を探すと今度は正解で満足出来た。結局三度にわたりピロシキを買ったおかげで、
イルクツークで食べたようなフルコース・ディナーは、胃に収まりそうになく、屋台の食料品店で何かを
買ってホテルに持ち帰ることにした。

 行列のあるお惣菜屋さんを観察していると、ボルシチらしきものをテイクアウトしている人を、見つけ
私もすぐさま列に加わった。
 ようやくボルシチに出会えた。熱々のスープをタッパーに入れ、最後にロシア料理に欠かせない、
サワークリームをかけてくれた。 あとまたピロシキ、黒パンを買い、スープが冷めないうちにホテルへ戻った。

 ボルシチはロシア料理と思っている人も多いが、実はウクライナのものであり、キエフに美味しい
お店があるというので、私の旅の計画の一つにも入っている。ボルシチとは一言でいうと、肉と煮込んだ
野菜がたっぷりと入った栄養満点のスープであり、具は各家庭によって微妙に異なってくるから、
ウクライナ版味噌汁ともいえる。特徴はビーツにより赤紫色をしていること、スープ皿に取り分けられた後、
サワークリームをかけることである。

 すっかり食事に満足した私は、ベッドに横たわるとそのまま眠ってしまった。

                            ☆

 ホテルの広さは中途半端ではなく、朝食の食堂までも結構歩く。
イルクツークでのホテルは、趣味の悪い、紫や赤を基調としていたレストランだったが、ここはそうでは
なかった。ここでもビュッフェの種類の多さにびっくり。
 
 ヨーグルト、ハム、チーズ、サラダからはじまって、メンチカツ、ソーセージ、パスタ、ごはんと少し
ずつではあったが、一通り試すとすでにこの日の昼食を食べる余裕がなくなるほどであった。
ロシアの食事も私が始めてモスクワのトランジットホテルで食べた、まずいものと比べると格段に
質が良くなっていたが、イチゴ色をしたジュースだけは、共産主義時代の東ドイツやポーランドで
飲んだ着色料たっぷりの人工的なお味だった。

 最初の観光目的地のクレムリンまでは、地下鉄で一本と楽だったが、5駅にもかかわらず駅間が
長いためか、13-4分も要してしまった。



 革命広場には赤い建物があり、私のイメージしていた「赤い街モスクワ」に来ている事を早くも実感できた。
ところが肝心の赤の広場には、軍の式典のため中には入れなく、まずは有名なグム百貨店に入ってみた。

 ただここは名前が百貨店ではあるが、デパートではなく現在では西側諸国のブティックなどが集まる、
こぎれいなショッピングセンターである。おのぼりさんのカップルには、お気に入りの写真スポットらしく、
記念撮影をしている人も見かけた。ただもう少しモスクワっ子の素顔の見れる庶民的なショッピングセンター
を期待していたから、少しがっかりした感も隠せない。

 次にニコルスカ通りという、古い建物の並ぶショッピングストリートを中央郵便局へと向かうと、
ルビヤンスカヤ広場(旧ジェルジェンスキー広場)、そう、かつて、冷戦時代にCIAと共に頻繁にスパイ小説に
登場した、旧KGB本部があるところだ。



 
 カスタードクリーム色をした8階建てのその建物へ近づくと、過去に長官を務めたアンドロポフ(後のソ連書記長)
のレリーフが、あったりと雰囲気があった。そして、たまたまシベリア鉄道の車内で読んでいた小説が、
「書記長のクーデター計画」というもので、この本部建物やその地下に秘密に存在していた、悪名高い政治犯
収容所であるルビヤンカ刑務所のすぐそばまで来ていると思うと、自ら小説の登場人物になった気分だ。

 過酷な拷問を受け多くの人が命を落とした建物のすぐ向かいには、何と子供用品専門のデパートがあり、
中の雰囲気はとてもほのぼのとしていた。

 赤の広場に戻ったが、まだ閉まっていたので、ソビエト革命の指導者、レーニン廟を見ることにしたが、
共産主義が崩壊した今でも相変わらずの人気で、セキュリテチェックを受ける列が結構長かった。
ここには30度くらいに体を起こした状態で眠っている本物のレーニンがいた!廟内は立ち止まることが出来ず、
静かに訪問を終えないといけないので、じっくりとは見れないが、暗室にライトを当てられた姿は蝋人形の
ようであった。そして、廟見学を終えて外に出ても、ゴーリキーやキーロフなどの墓参りをしないと、ワリシー
聖堂の方へは抜けることが出来なかった。

 トロツカヤ門で230P(ルーブルの略称。キリル文字ではラテン文字のRがPに相当する。)を払って、
クレムリン内部に入ると、入ってすぐの兵器庫より先の左側は大統領府と官邸のため、歩道から降りること
すら許されなかった。

(大統領府)

 クレムリンというと西側諸国の雄であるホワイトハウスに対する、共産主義の総本山であったところで、
冷戦時代にはよくニュースなどで賑わったものだ。レーニン以来歴代の書記長が執務してきた政治舞台の
イメージが強いが、元々は歴代のツアー(皇帝)の住まいであったから、建物も大きく、観光地と現代政治舞台が
混ざって同一敷地内に存在しているわけである。

 聖堂関係を訪れた後、今度こそはといった思いで、赤の広場を目指した。



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