Turkey2


 

火曜日にキルギスのヴィザをもらい、マサのウズベクのインビテーションがまだ来ていないため
シルケチ駅から
10駅もあるゼイティンブルヌ地区のカザフ大使館を目指した。

 シルケチ駅はオリエント急行の終着点だが、それを感じるためには大通りに面した入り口から入るのではない。
側面の重奏な煉瓦づくりの駅を右見にながら今世紀始めのベルエポック風のカフェテリアに入ってから構内に
入るのが、オツなのだと私は思った。

 表通りの入り口には屋台があったり駅にコカコーラの看板が掲げてあったりでとても大衆的な構えをしている。
駅の中に入ってもぱっとしない地方都市の駅のようだった。無理もない、トルコの交通の中心はバスなのだから。
そんな垢抜けのしない駅のホームでも一際田舎っぽいところがあった。それはまさにこれから乗ろうとしていた
近郊線のホーム。このホームに入るには地下鉄のような改札があり、手前の窓口でジュトンというゲームセンターで
使われるようなコインを買ってから入るといったシステムが採用されている。料金も分かりやすく次の駅で降りよう,
が終着駅まで行こうが一律
25万リラなのだ。

 私は、この駅を見ているとジェントルマンと庶民の入り口が別になっていたころのイギリスのパブが,ここにはまだ
生きているような気がした。

 列車が動き出しても油圧の関係で扉が半自動ドアーのような速度で閉まるので駆け込み乗車があったり、
手で扉を持って体を半分外に出して風に当たっている人がいたりで彼らはなぜか絵になる。特にさすがだと思ったのは、
駅まではまだ少しあるのに減速したところでひょいと器用に降りていった人だった。さすがにそれは珍しいのか,
彼を眺めている乗客も多かった。

 このような光景はアジアでこそ当たり前ではあるがヨーロッパに位置するイスタンブールでまさか見られるとは
思わなかった。やはりここはヨーロッパとアジアの接点なのである。

 駅を出たところはトルコ人というよりも亜細亜系の顔の人も少し目に付いた。私たちが道を尋ねた親父も亜細亜系の
顔でまた、ガイドブックのカザフの大統領の写真を見て名前と何やら言っていたので助かったと思った。
もちろん英語を話さないので推測に頼らなければいけなかったが、私の分かったところでは場所が移転したとのことだった。
マサが不安になるほど引きずり回された後キリル文字でカザフと書かれてある看板の建物の中に連れて行かれた。
カザフの国旗もあり、領事っぽい人も亜細亜系の顔をしていた。私らのパスポートとインビテーションを眺めた後一言、
こう言った。「領事館はタクシムの方に移転した。」

 「ゲゲー、タキシムってさっきいたとこじゃないか。冗談じゃない。しかも、カザフの領事館は最近今いる場所に移転した
という情報があったので安心していたのに。」私はこうぼやいたが仕方ない、午前中にヴィザの申請は無理だが、
とにかくまた戻ってみることにした。例の親父が広場行きのバスに乗せてくれたおかげで乗り換え無しに
1本で行けたが、
満員で荒い運転の中の
1時間の道のりは結構きつかった。

 午後ヴィザの申請を終えるとその日の仕事は終わった。


                                  ☆


このように私たちにはヴぃザ取りという仕事があったので、夜寝ることが遅くとも朝は早起きという規則正しい生活を
続けていた。日によって方面が違ったが、ぼくはタキシムに行くルートが一番好きだった。朝の通勤時間に宿を出て
戻りが夕方ということが多かったので、なんか出張中のような気分であった。ありとあらゆる品がそろい売り手と買い手の
活気が飛び交う、エジプシアンバザールのあたりを通ってガラダ橋を渡るのが日課になっていた。以前来たときは雪と
冷たい雨のため
半分しか渡れなくとてつもなく長く見えたこの橋も日に日に短く感じるようになった。車の通行量は多いが、広い歩道の
スペースとつりに励む人、店を広げ、物を売る人などを眺めながら歩いていると車の騒音なんか全く聞こえない不思議な
橋であった。

タクシムのさすが大都会といった
4つ星以上のホテル、企業や高そうなレストランやカフェの並ぶ大通りを訪れた後、
路面列車が、真ん中を走る歩行者天国の両脇はヨーロッパ風のショッピングストリートといった感じで洒落た店が
並んでいた。その通りを少し脇にそれると食料品の店が並ぶ通りが右手にある。その短い通りと一帯には新鮮な
魚介類をフライする屋台やレストランがありいつも人々でにぎわっていた。また、別の通りには日用品店が軒を並べて
あったりで小さなバザールで飽きることがなかった。しかし、旧市街の雰囲気と決定的に違っていたのはワインバーが
ありそれが若いサラリーマンたちでにぎわっていたことだ。

 再びトラムの走る通りに戻り緩やかな坂を下り終わるとその終点になる。ここからガラダ橋に下るのは2通りの方法がある。
最初はかなり急な階段を降りてゆくこと。坂の途中には電気、部品、楽器など色々な専門店が並んでおり興味がなくとも
見ていると楽しい。また通りの感じも旧市街であり生活臭い。唯一の難点はあまりにも坂が急なため足先に負担がかかり
疲れる点である。

もう一つの方法は、地下を走るトラム、というか地下を走るケーブルカーに乗って橋のすぐ近くまで降りるかだ。
外の景色は楽しめないがとても楽である。夕暮れ時のガラダ橋もきれいだが、夜はデートスポットになるくらいライトアップされた
夜景がきれいだ。しばらくアジア側と結ぶボスポラス橋やモスクなどを眺めていたかったが相手が男だったのでそんな気には
なれなかった。

 その辺のロカンタで適当に夕食を済ました後、飲み屋の屋上のテラスで涼むのがいつのまにか日課と密かな楽しみになっていた。
何といってもそこの生ビールがすごくうまいのであった。その
EFESというトルコビールを他の店で飲んでもそこまでうまく感じなかった。
そのうちクルド人のメティンというウエイターを始め何人かと仲良くなり最後の一杯をサービスしてくれるまでになったので、
ますますそこに通うようになった。トルコ語の単語の数も彼らのおかげでゼロから少し増えた。

 生活にリズムが出来てくると動くのがじゃまくさくなり、当初は一日も早く出たかったイスタンブールで私らのシルクロードの旅は、
終わるんじゃないかと思ったほどだった。




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