Turkey3

ウズベクのヴィザで戸惑ったがそれでも希望道理に8月中にイスタンブールを旅立つことが出来た。
ところが、いざ出発の当日になると腰が痛い。もう一日ゆっくりしたかったがそうなると腰が重くなりそう
だったので、まずはアンカラに向かった。長いボスポラス橋を渡り終えヨーロッパから久々のアジアの地を
バスは感動もなく事務的に走り続けていた。テレビで震災地の様子は見ていたがイスタンブールにいる
限りは余震を恐れて公園で寝泊まりしている人の姿を見ていたが、外の出来事にしか思えなかったが、
イズミックに近づくとそこには崩壊した家という恐ろしい現実があった。

 首都アンカラには8時間後の夕方に着いた。腰も限界で宿で休みたかったが車窓から見たアンカラの街は、
思ったよりも広く市内で宿探しをしているだけで歩けなくなりそうだった。そこで当初の予定だったカッパドキア
行きをやめ東トルコの中心都市エルズルムに向かうことにした。とはいえ腰が痛いのでとりあえずはシバスと
いうところまでの切符を買い、そこで大丈夫ならそのまま旅を続けると方法を取った。バスの出発時間までも
ちょうど良い待ち時間なので鉄の長椅子に横たわって腰を伸ばしてバスを待った。それがよかったのか、
腰がうそのように良くなり7時間の夜行バスの旅に耐えられた。


 シバスは9月になったばかりというのに早朝の寒さはストーブが欲しくなるほどであった。
標高も
1000メートル以上だからこんなものなのか。人々の様子も異なっていたし、のんびりとしていた。
マサが係員のずさんなバックパックの取り扱いのため紐を壊されたことを除いては印象のよい街だった。
私が東に向かっていると実感したのは風景もあるけれどバスの内容にもあった。最初のアンカラまでのバスは、
ウエイターのような制服を着た少年が乗っていて、水や飲み物そしてお茶菓子のサービス付きとまるで飛行機に
乗っているようであった。それがバスを乗り換えるに連れてサービスがだんだんと簡略されてゆき接客員か、
交代の運転手か分からないようになっていた。まあ、イスタンブールーアンカラ線は競争もあるから気合いも
入るんだろうな。

 そんなことを考えているうちにバスは東トルコの中心都市に到着した。


                                ☆


 よくトルコ人は親切だといわれる。ところがイスタンブールを訪れた旅行者からはトルコ人は不親切だとか
嫌いだという声も耳に入ってくる。私もイスタンブールからギリシャに向かった旅のときはトルコ人のどこが
良いんだと思ったが、エルズルムに来て良さがよく分かった。と同時に旅といえばトルコしい行ったこと
がないのではと思うぐらいの友人も東トルコは最高と言っていたのを思い出した。

 イランからトルコに入った旅人は北上し黒海沿いにあるタブリーズに向かうかひたすら西に向かうかに別れる。
後者の場合エルズルムを通ることになるが、これといってトラブソンのような見所もないので、バスの乗り換え
などで一泊もすれば通過という場合が多い。

 私はこの街が気に入った。特徴もない典型的な中都市の近代的な目抜き通りを歩いていてもカラっとしていて、
風も涼しく高原らしい気候のせいか日中は温度が上がっても快適で足取りが軽い。イスタンブールからほぼ
一直線に移動してきたためか、旧市街を歩いていてもその変化も感じることが出来たのも良かった。

野菜でも果物でも何でもただ単に山積みにするのが良いのだとすいかを問屋のように積み上げて何が悪いと
言ってきそうなおやじの姿、ごちゃごちゃした市場の雰囲気はもうアジアに、むしろ中東にいるんだと実感できる
においがそこにはあった。地面からスイカをそんなに山積みにしてもトマトやジャガイモみたいに一回で数個も買う
客もいないのになぜなんだとも思ったが、彼らはそれなりの哲学があってやってるのだろう。
ちなみに夜はどうするんだろうと思い散歩のついでに見ていたら大きなビニールシートをかぶせて、ロープで巻いて
大切な商品を厳重に包んでいた。

 私がここを中東と感じたのもホテルアリに入ったときである。廊下や受け付けにはコーランの様なものが、
掲げてあったりメッカのカーバ神殿の写真があったりでとてもイスラム的な感じがした。イスタンブールの感じの
悪いおやじの宿のおばちゃんはコーランをテレビで熱心に見たりしていたが宿には宗教のにおいは感じられなかった。
そして何よりも驚いたのは高級ホテルでもないのにお祈りのための部屋があったからだ。ちょうど我々の部屋の前に
ありそれは3畳間程の広さでメッカに向かって一人分の赤い絨毯が敷かれてあり、その聖なる方角にあたる壁には、
サウジアラビアの国旗が貼られてあった。壁の他の部分にはメッカを巡礼している人々の様子の写真が何枚も貼ってあった。

サウジやイランのような国なら分かるがまさかトルコでこんな宿に出会うとは思っても見なかった。ガイドブックには、
一番安い宿の一つとあったからすさんだ宿かなと来たものの、地元の泊まり客の多い宗教宿のようなところで部屋
もかなり快適なところだった。

 冬の寒さが感じられる二重窓を開けて外を見ると隣にはすぐモスクがあった。なるほどなとは思ったものの、どう見ても旅を
してまで巡礼者が集まって来るようなモスクではない。単に宿のおやじが宗教熱心であったのか。ちゃんと聞いておくべき
であった。
そんな宿の雰囲気から段々とイランに近づいて来たと思うとシルクロードのたびの気持ちも高ぶって来た。

私がこの街を好きになったのも街の様子だけではない。トルコ通の友達が言っていたように、東トルコの人は最高という
言葉を実感できたためだ。

 ちょっと公園で一休みをしていると途端に子供たちに取り囲まれ20人ぐらいになっている事もあった。
別に金や物が欲しいわけではない。単に私らが珍しいだけなのだ。そのうちに年長格の少年がチャイをごちぞうしてくれる。
そして話題はいつも決まってカンフーや空手のことだった。ブルース
=リーもジャッキー=チェンも日本人じゃないといっても
彼らには分かってもらえない。むしろ彼らも私らに良い感情を持っているから私も何も言わないし、私自信もあまりにも彼らが、
自信をもって言うものだから時々分からなくなってしまうのだ。ちょっと店に入ればチャイをごちそうしてくれる。
特に印象的だったのは銀行だった。きれいで優しいお姉ちゃんがトラベラーズチェックの両替の手続きをしてくれているだけでも
嬉しかったのに、チャイまで出してくれた。

 建物の庭にいた警官に道を尋ねたら、私らがトルコ語を解しないためか一緒に門の外に出てきて通りを指差した。
どこかで左に曲がれと言っているジェスチャーで理解し歩きはじめようとしたら付いて来いときた。まあこの近で左折するので、
そこまで行ってくれるのであろうと思っていたら一向に歩くのを辞めない。国や場所によってはどこに連れてゆかれるのか
不安になってしまう。5分近く歩いた後に左折地点があった。そして目的地が良く見えるところまで我々を連れていってから、
「では本官はこれで失礼します。」といった感じでさっと去って行った。さりげない親切。道を聞いたときの親切はこれだけではなかった。

 このようにこの街では歩いているだけで人の親切に出会えるのであった。そして歩いていても人々にしつこさがなく私はますます
この街が好きになった。

 デリーやイスタンブールでは10日はかかるイランのヴィザが3時間で出たことも嬉しかった。

 それにしてもやる気のない領事館だった。領事らしき人間がどうしてイスタンブールでヴィザを取らなかったんだ、とぶつぶつ
言いながら面倒臭そうに申請用紙を渡すとそのまま奥の部屋に消えてしまった。用紙を書き終えて、読んでもなかなか姿を
あらわさない。とりあえず言われたようにダウンタウンの銀行に振り込みに行って返ってきて何とか振込証明書を渡したが、
それからいくらまっても一向に現れないので我々は交互に叫んでみたが誰もいない待合室に空しく声がこだまするだけだった。
さっきまでは少なくとも呼んだら、少なくともしばらくまっても来たが今度は意地悪をしているのか一向に来ない。
時計を見るとこのままでは午前中にもらえない可能性も考えられたのでマサに中を任し私は外に出た。
職員の通用門を探し守衛に領事を呼んでもらうためである。

 入口の反対側、建物の裏側にそれらしいところがあり、近所の子供たちがたむろしていた。独立した入口ではなく、
普通のマンションのような入口のためどのボタンを押すか分からなかったのでそこにいた子供に頼んだら3階くらいの
ベランダから見覚えのある二人が出てきた。私がヴィザというと面倒くさそうに待合室に行って待ってろ、今行くからと言って姿を消した。
とりあえず行くしかなかったので戻ったら、今度はすぐにヴィザを張ったパスポートを持って登場した。ああ、良かった。
とにかく最後まで良く分からなかったがとにかく良かった。しかも予想外に早く取れて。


ヴィザ取りという目的が終わりエルズルムには用事がなくなったが、街の心地よさといい宿のベッドの快適さでなかなか
動きにくくなっていた。
 とは言え、特に見たいものは街の中にはなかったが、唯一ビザンチン時代の要塞後に興味があった。
奥まったごちゃごちゃした住宅が密集した中にあったが、土産物はもちろん観光地のような雰囲気もなく単なる歴史の遺物が,
ひっそりとたたずんでいるだけだった。

 城壁の廻りを歩こうとしたがそこはごみ捨て場のようなところでそんな気もなくなり、すぐ近くは丘の上のようなところで,
そこからエルズルムの街を見渡している方が楽しかった。向かい側の丘を見るとトルコの国旗が空から見ても分かるように大きく
赤と白で描かれていた(トルコの国旗は赤地に白い柄)。そこでボーっとしていると僕らが城壁に着いたときからいた親子らしい
二人が近づいてきた。ごみを漁っているちょっと頭が薬にやられていそうなオヤジと、普通の貧しそうな子供だった。

さて、話し掛けてきたらゆっくりできないから行こうかと考えていたが、不思議なことに彼らは我々の横に座ったものの一向に
話してくる気配がない。たまにこちらを見るが後は我々と同じく街の様子を眺めているだけであった。そんな状態が30分近く
続いただろうか。そして、彼らはまた黙ってどこかへ去っていった。

 不思議な二人だった。彼らは、特に我々を眺めていた子供は何を言いたかったのだろうか。





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